フレディ・マーキュリーは親日で有名です。
今回はそんなフレディの親日っぷりがわかる
画像やエピソードをまとめてみました。
フレディマーキュリーの親日っぷりがわかる画像5選!
1つ目:日本の古美術品好き
こちらのフレディの写真は、
恋人と一緒に栗田美術館で撮られたものだと思われます。
日本の美術品好きで知られるフレディ。
1986年9月にプライベートで来日した時には、
栃木県にある陶磁器の専門美術館「栗田美術館」
を訪れたといいます。
初来日の時に日本文化に魅了された
フレディは1975年に初来日した時に
日本文化に魅せられたといいます。
クイーンのメンバーのロジャーは、
初来日で野外の茶会を経験した時に
フレディは日本と恋に落ちたんだ
と後に話していました。
その後も来日する度に、
・陶磁器
・浮世絵
・招き猫
・火鉢
など大量の古美術品を買いまくり、
ロンドンに持ち帰ったそうです。
彼の自宅には
美術展が開けるほどの
大量の日本の古美術品があったといいます。
日本の美術品コレクターということで、
親日家であることは間違いないですね。
2つ目:自宅でも着るほどの着物好き
フレディが来日時に魅せられたのは
古美術品だけではありませんでした。
日本の着物にも興味を持ち、
大量に買ったといいます。
実際に着物を着たフレディの写真を
たくさん見ることができます。
驚くほど日本の着物が似合っていますね。
しかもフレディは、
日本に着た時だけでなく、
自宅でも着物を着ていたそうです。
来日の時だけ着物を楽しむ外国人の方は多いですが、
フレディは本当に着物好きなのですね。
映画でも着物シーンがあった
フレディを描いた映画「ボヘミアンラプソディ」でも、
フレディの着物姿を見ることができます。
フレディ演じるラミ・マリックが着ているのは
間違いなく着物ですね。
ちなみにこの映画では、
フレディに家に金閣寺の御札らしきものが映るシーンもあります。
雨の中メアリーがフレディの家を訪れた場面です。
映画でも描かれるほど、
フレディ=日本のイメージがあることが嬉しいですね。
3つ目:自宅に日本庭園があった
こちらはファンサイトに掲載されていた
フレディが住んでいた家の写真です。
こちらの写真は
その庭で写真を撮ったものですね。
実はこの庭は、
日本人の庭師である高原竜太朗さんが
手掛けたものなんだそうです。
1985年に日本庭園を造りたいと考えたフレディは
日本で見た庭園を参考に
高原さんに依頼したそうです。
高原さんは986年6月頃~1987年2月まで
毎日フレディ邸に通って仕事をしたといいます。
・池に泳ぐ錦鯉
・灯篭
・茶室
このような本格的な日本庭園が作られたそうです。
フレディは
茶室の瓦の色が京都で見たものとは全然違う
と注意するなど、
日本で見た日本庭園に近づけるように
こだわったといいます。
亡くなる少し前まで
この茶室でフレディは曲を書いていた
というエピソードもあります。
来日時もホテルではなく旅館風な場所を好んだというフレディ。
和室の雰囲気に癒されていたのかもしれませんね。
ちなみにベッドではなく布団で寝ることに
興奮したんだそうです。
本当に日本が好きなのですね。
4つ目:日本語が上手
こちらは1981年に世界的オペラ歌手のモンセラート・ガバリエと
フレディがコラボしたアルバム「BARCELONA」の画像です。
このアルバムに収録されている
「La Japonaise」の歌詞は日本語が多く含まれています。
こちらが実際の音源です。
フレディの歌う日本語の歌詞を聞くことができるでしょう。
発音が良いというだけでなく、
とても美しい日本語ですよね。
実はフレディは日本語にも精通しています。
来日時のライブのMCは
ほとんどが日本語でした。
これも親日エピソードと言えますね。
5つ目:恋人ジムハットンとお忍びで来日していた
こちらはフレディが恋人のジム・ハットンと
来日した時の写真です。
ステージの上とは違い
とても穏やかな表情が印象的ですね。
フレディはお忍びで
ジムと一緒に日本旅行に来ていたといいます。
恋人との海外旅行に日本を選んでくれるということは、
やはり親日家と言えるでしょう。
フレディマーキュリーが日本好きな理由は?
大歓迎を受けたから
クイーンの初来日は1975年。
この時のクイーンは本国イギリスでは
まだ人気が出始めた頃。
批評家からは酷評されていたといいます。
海外でライブをすることもありましたが、
大歓迎されるという感じではなかったそうです。
来日前、
クイーンはある程度日本で人気があることは知っていました。
しかし到着した彼らを羽田空港で待ち構えていたファンは
約2,000人以上と言われています。
WBCで優勝した侍ジャパンが凱旋帰国した時、
成田空港に大勢のファンが祝福したことが報じられましたが、
この時集まったのは約1200人でした。
クイーン初来日の時はそれ以上ということで、
凄まじい人気だったことがわかりますね。
さらにその後、
大掛かりな来日記者会見まで行われました。
メンバーのブライアン・メイは
この会見で、
違う世界に来たようだ
これまでどの国に行っても
このような歓迎は受けたことがない
と話しています。
もちろん日本武道館で行われたコンサートは超満員。
世界ではじめて自分たちをスーパースターとして扱ってくれた日本は
クイーンにとって特別な存在になったようです。
このような理由から、
フレディは日本好きになったと言われています。
どうしてクイーンは日本で人気があったのか?
世界的に人気が爆発する前のクイーンに対し、
どうして日本は熱狂したのでしょうか。
その理由は、
・デビュー当時から音楽雑誌が頻繁に特集を組んでいた
・少女漫画に出てくる王子様のような姿が日本女性にウケた
このような事が挙げられるようです。
日本の洋楽好き女性の圧倒的な支持が
大きな要因だったようですね。
日本の芸術品が好きだったから
フレディは日本でスター扱いされたから
日本好きになっただけではありませんでした。
日本の骨董品や着物など
芸術に興味を持ったことのほうが
日本が好きになった理由のようです。
フレディは音楽家としてだけでなく、
芸術家としても秀でた才能を持っていました。
さらにもともと東洋文化に興味があったとも言われています。
そのような事情もあり
日本の芸術に魅せられたのでしょう。
イギリスより同性愛に寛容だったから
ジム・ハットンと日本旅行を楽しんでいたフレディ。
キリスト教では男色は罪とされているため、
イギリスでは同性愛に対する風当りは強かったようです。
日本のほうが同性愛に寛容だったことも
日本好きになった理由かもしれませんね。
新宿2丁目の老舗ゲイバー「九州男」には
来日する度に、
ただいま
と言ってやってきたというエピソードもあります。
日本に親近感があったから
フレディの両親はゾロアスター教徒でした。
このゾロアスター教は、
・お正月飾りのどんど焼き
・お盆の送り火
このような日本の風習の元になっている
と言われています。
さらにフレディは
日本に仏教を伝えたインド出身。
このような繋がりがあったため、
もともと日本に親近感を持っていたのかもしれませんね。
まとめ
今回はフレディ・マーキュリーが親日である
エピソードや理由を調べてみました。
知れば知るほど、
日本人として嬉しい内容ばかりでした。
世界的スーパースターが日本を深く愛していたことは
これからも日本人の誇りであり続けるでしょう。