フレディ・マーキュリーの最後のプロモーションビデオとなった
「輝ける日々」。
悲しくも美しい楽曲ですが、
それ以上にフレディの激痩せした姿に
衝撃を受けた方は多いでしょう。
本人とは思えないほどの姿でした。
今回はこのビデオにまつわるエピソードを
まとめてみました。
フレディマーキュリーの最後のプロモーションビデオは本人?
本人が激痩せを化粧で隠していた
1991年11月24日に死去したフレディ・マーキュリー。
彼が生前最後に撮影したプロモーションビデオが
「輝ける日々(These Are The Days Of Our Lives)」です。
1991年5月30日に撮影が行われています。
重病説を否定し続けてきたフレディ。
激痩せした顔を化粧で隠していたといいます。
しかし化粧をしても、
本人なのか疑ってしまうほどの姿でした。
クイーンのギタリスト、ブライアン・メイは
2011年にインディペンデント紙で
彼は何時間もかけてメイクし、
気持ちを落ち着けて順調であるように見せていた。
と明かしていました。
派手なコスチュームで観客を魅力してきた
フレディらしい方法で撮影に挑んだのでしょう。
激痩せを隠すためにモノクロ処理した?
厚化粧をしても
フレディの衰弱した様子がわかってしまうため、
このプロモーションビデオは
モノクロ処理をしてごまかしたと言われています。
しかし後に
ドキュメンタリー「輝ける日々」で
未公開のカラー映像が使われ、
カラーのフレディの姿が公開されました。
これを見ると、
フレディが相当ひどい状態の中、
撮影に挑んだことが伝わってきます。
フレディからの別れのメッセージ
クイーンのギタリスト、ブライアン・メイは
2011年インディペンデント紙に、
彼はこのビデオを通じてサヨナラを言っているんだ
と語っていました。
この楽曲の歌詞は、
過ぎ去った過去を思い出しながら、
あのころは楽しかった
そんな日が永遠に続くと思っていた
と懐かしみながら、
最後に残った真実は君への愛だ
と締めくくっています。
最後の歌詞の後にささやいた
「I still love you」(今なお、君を愛している)
という言葉。
これがカメラがおさめた
フレディの最期の言葉となりました。
フレディからこの世界に向けた
別れのメッセージだと解釈できるでしょう。
美しいメロディと優しい歌い方でありながら、
聞く人の心に深く突き刺さるような楽曲でもありますね。
フレディ特有のスタイルは健在だった
プロモーションビデオのフレディの姿から
パフォーマンスできる状態でないことが伝わってきます。
しかしそれでも毅然とした表情で歌い切ったフレディ。
痛々しい姿ではありますが、
フレディにしか出せない身のこなしや歌い方は健在でした。
彼独特の華やかさや強いまなざしも
しっかり見ることができます。
最後の最後までファンを喜ばせたい
という彼の執念に圧倒される
プロモーションビデオではないでしょうか。
最後に選んだ衣装は猫柄だった
ド派手な衣装で魅力してきたフレディ。
最後のプロモーションビデオの衣装は、
彼が可愛がっていた猫たちが描かれた
オリジナルベストでした。
フレディが猫好きなのは超有名な話。
・ツアー中に猫に電話をかける
・それぞれの猫に1つずつ部屋を与える
・猫のために歌を作る
・いつも猫柄の服を着ている
このように猫好きエピソードがたくさんあります。
最後まで猫への愛を貫き通した
とても素敵な衣装ですね。
フレディマーキュリーの晩年の様子は?
HIV感染から死去までの時系列
最後のプロモーションビデオの撮影を終えたフレディは
ケンジントンの自宅で
静かな日々を過ごしたといいます。
晩年のフレディについてまとめました。
・イギリスのマスコミがフレディがHIV検査を受けたことを報じる
・フレディは病気を否定
・後にジム・ハットンが明かしている
・痩せた姿やツアー不参加によりエイズ感染が噂される
・クイーン4人で登場
・フレディが公の場に姿を現したのはこれが最後となる
・スイスのマウンテンスタジオで14枚目のアルバム「Innuendo」のレコーディングが行われる
・フレディ重病説がたびたび噂されるが、フレディもクイーンメンバーも否定し続ける
・英国チャート1位を記録
・10年ぶりの首位に返り咲く
・スイスのマウンテンスタジオで新作「Made in Heaven」の制作が始まる
・このアルバムはフレディの死から4年後にリリースされる
・フレディ最後のプロモーションビデオとなる
・クイーンとの仕事を終え、ケンジントンの自宅へ戻る
・死と向き合う覚悟を決め、薬の服用を止める
・死去する前日に公表
・遺体は火葬された
・生前の約束通りに友人メアリーが遺灰を埋葬した
・埋葬した場所は明かしていない
公の場で見せた最後の姿
フレディ最後の姿は1991年5月のMVですが、
公の場に現れたのは1990年2月18日が最後でした。
ロンドンのドミニオン・シアターで開催されたブリット・アワードで
クイーンで特別功労賞を受賞した時です。
HIV感染を認識してから3年ほど経った頃で、
すでに衰えた姿だったフレディ。
重病説が瞬く間に広がりますが、
フレディ側は頑なに否定しました。
これがその時の写真ですが、
確かに顔がやつれている感じがしますね。
こちらは4年前頃の
1986年の時の写真です。
表情も体格も違うことがわかりますね。
最後まで病気を隠し続けた
フレディに異変に気付いたマスコミは
何度もフレディ重病説を報じ、
メンバーはそれを否定し続けました。
衰弱した姿になっても、
フレディは亡くなる前日まで
病気を隠し続けたのです。
不治の病であることを明かしていたのは
・メアリー・オースティン(生涯の友人)
・ジム・ビーチ(マネージャー)
・ジム・ハットン(最後の恋人)
・ドミニク・テイラー(バンドのロジャーの妻)
この4人だけだったと言われています。
ドミニクは乳がんを患っていたことがあり、
事実を打ち明けたんだそうです。
しかしクイーンのメンバーは
フレディの状態に気付いていたといいます。
クイーンのギタリスト、ブライアン・メイは
2011年BBC放送のドキュメンタリー「輝ける日々」の中で、
フレディは驚くほど平静で、
僕に愚痴をこぼしたことは一度もなかった
と明かしています。
驚くほど強い奴だった
とも語っていました。
長年秘書をしたいたピーター・フリーストーンも
辛く悲しい日々だったけど、
フレディは気落ちしていないかった
とフレディの気丈さを語りました。
ステージに立つ力強いフレディのように
最後まで強くかっこいい姿を見せていたのですね。
最後まで仕事をやりきった
死期が近づいたフレディは、
気丈にふるまうだけでなく、
最後まで仕事を続けました。
BBCのドキュメンタリーの中で、
体調が悪化するほど、
レコーディングへの意欲が高まっていくようだった
とロジャー・テイラーが明かしています。
「Innuendo」の評判が良かったことを受けて、
すぐに新作の制作に取り掛かるように
メンバーを急かしたといいます。
曲を書いてよ。
もう長くないってわかってるんだ
と言ったことも明かしていました。
最後まで仕事に没頭することが
フレディの望みだったのでしょう。
まとめ
今回は、
フレディ・マーキュリーの最後のプロモーションビデオとなった
「輝ける日々」について
様々なエピソードをまとめました。
最後までフレディ・マーキュリーであり続けた姿は
これからもずっと愛され続けるでしょう。