日本のリトミック研究者、幼児教育研究家である小林宗作さん。
黒柳徹子さんの大ベストセラー「窓ぎわのトットちゃん」に登場する
小林先生としても有名です。
今回は小林宗作さんとはどんな方なのか経歴をまとめたいと思います。
小林宗作の経歴・プロフィール!
幼い頃から音楽が好きだった

小林宗作(こばやし そうさく)
1893年6月15日~1963年2月8日
出身地:群馬県吾妻郡岩島村
1893年(明治26年)、
群馬県吾妻郡岩島村の農家の6人兄妹の末っ子として誕生。
美しい自然の中で育った小林宗作さんは、
幼い頃から音楽が好きだったそうです。
- 1899年(6歳):吾妻郡三島小学校入学
- 1907年(14歳):三島小学校高等科卒業
その後しばらく代用教員を務めます。
しかし音楽教師を目指していた小林宗作さんは、
18歳の時に教員免許を取り、
東京の小学校に勤務し始めます。
音楽教師になる

音楽教師になるために音楽大学に入学。
- 1916年(23歳):東京音楽学校乙種師範科に入学
- 1917年(24歳):東京音楽学校卒業
東京音楽学校、現在の東京芸術大学音楽学部で音楽を学んだ小林宗作さんは、
卒業後は音楽教育に力を注いでいきます。
成蹊小学校の音楽教師となる

成蹊小学校の音楽教師となった小林宗作さんは、
創立者・中村春二さんの
「自由な教育、子どもの個性尊重に徹する教育方針」
に大きな影響を受けたといいます。
その後、
- 音楽教育
- 児童教育
を学ぶためにヨーロッパへ渡ることを決めます。
ヨーロッパ留学でリトミックを学ぶ

出典元:Wikipedia
エミール・ジャック=ダルクローズ
1923年、30歳の時にヨーロッパへ留学。
- スイス
- フランス
- ドイツ
- イタリア
- イギリス
このようなヨーロッパ各国で音楽を学ぶ中で、
リトミック創案者のエミール・ジャック=ダルクローズから
直接リトミックを学びます。
リトミックとは?

最近子どもの習い事して人気のリトミックですが、
スイスの音楽教育家エミール・ジャック=ダルクローズが、
20世紀初頭に創案した音楽教育法です。
日本でも明治時代に教育家、音楽家、演劇人などが
ヨーロッパでリトミックを学び各分野に取り入れていました。
リトミックについて詳しく見てみましょう。
リトミックは、楽しく音楽と触れ合いながら、基本的な音楽能力を伸ばすとともに、身体的、感覚的、知的にも、これから受けるあらゆる教育を充分に吸収し、それらを足がかりに大きく育つために、子どもたちが個々に持っている「潜在的な基礎能力」の発達を促す教育です。
「音楽を基礎とするものではあるが、単に音楽学習の準備であるにとどまらず、
むしろそれ以上に一般教養の一体系である」(エミール・ジャック=ダルクローズ)
リトミック研究センター
簡単に言うとリトミックは音楽に触れながら子どもの基礎的能力を伸ばす教育法です。
歌やピアノなどは音楽の技術を学ぶことが主な目的ですが、
リトミックは音楽を身体で感じることを目的としています。
日本の音楽学校で教壇に立つ

https://kotaenonai.org/blog/satolog/8069/
2年間の留学を終えて帰国した小林宗作さんは、
- 石井漠舞踊研究所
- 東洋英和女学院
- 国立音楽学校
などで音楽教育を行いました。
さらに同じ教育方針を持つ小原国芳と共に成城学園を設立。
日本のリトミック普及に尽力します。
再び留学してリトミックを学ぶ

さらにリトミックを極めるために、
1930年、37歳の時に再びヨーロッパに渡り、
エミール・ジャック=ダルクローズのもとで学びます。
二度の留学では、
- 児童教育
- 音楽リズムと造形リズムの関係
- 音楽と体操の結合
などを研究。
その成果を日本の教育界に広めることに尽力しました。
トモエ学園を創立しリトミック教育を広める

https://kotaenonai.org/blog/satolog/8069/
1937年、44歳の時に、
理想の学校を作るためにトモエ学園を創設します。
リトミックを教育基盤とした幼小一貫校です。
幼児、児童期の教育にリトミックを取り入れ、
総合リズム教育へと発展させまました。
さらに東京市の厚生保母養成所等で総合リズム教育を行い後継者を育成、
日本のリトミック教育の基礎を築きました。
しかし1945年東京大空襲により校舎が焼失。
小学校は廃止されてしまいます。
1948年にさくら幼稚園を設立し初代園長に就任しています。
戦後も日本教育に貢献する

https://twitter.com/hoshinoryuji1/status/1102721600858677248/photo/2
戦後は、
国立音楽大学、中学校・高等学校で、
リトミック教育を行いました。
さらに国立音楽大学での初等教員養成などを行い、
日本の教育に大きく貢献しています。
1963年、69歳の時に脳溢血で突然に倒れ死去しました。
小林宗作は黒柳徹子「窓ぎわのトットちゃん」で有名に
黒柳徹子が教え子だった

小林宗作さんは、
黒柳徹子さんの著書「窓ぎわのトットちゃん」で有名になりました。
お世話になった小林先生のことを伝えたい一心で
この本を書いたという黒柳徹子さん。
小林先生は「君は、本当は、いい子なんだよ」
という言葉をかけてくれたそうです。
あとがきには
その言葉がどんなに自分のこれまでを支えてくれていたか、先生に出会わなかったら、悪い子のレッテルを貼られコンプレックスにとらわれたまま大人になっていたのでは
窓ぎわのトットちゃん
と綴られています。
「窓ぎわのトットちゃん」で描かれたトモエ学園とは?

出典元:Amazon
小林宗作さんが創立したトモエ学園は、
リトミック教育を取り入れた日本初の学校として知られています。
それ以外にも「窓際のトットちゃん」では、
- 子どもの個性を大切にする
- 子どもの力を信じて自主性を育む
- 座学よりも校外学習や課外活動などを多く取り入れる
- 時間割がなく自分が好きな教科からはじめる
このようなユニークな教育方法が描かれています。
体に障害がある子も含めみんな一緒に過ごす
小林先生は、
障害児・健常児と区別することはなく
みんな一緒に同じことをやる
ことを大切にしていました。
トモエ学園では、
障害を持った子どもたちを「手伝ってあげなさい」
と言うことがなかったそうです。
多様性を認め合う最新の教育方針だったことがうかがえますね。
こんな校長先生のいる学校に通わせたい!
「窓ぎわのトットちゃん」で描かれた、
子どもの個性や多様性を受け止めるトモエ学園と小林先生。
ネット上には、
などの声が多数見られました。
小林先生の教育方針は現代の親世代に刺さるもののようですね。









まとめ
今回は日本のリトミック教育の基礎を築いた小林宗作さんについて調べてきました。
幼児教育に尽力した人物であることがわかりました。
また昭和の時代に子どの個性や多様性を重視した
素晴らしい教育法を取り入れていた方もありました。
映画「窓ぎわのトットちゃん」では、
小林先生がどのように描かれるのか楽しみですね。