黒柳徹子さんの著書「窓ぎわのトットちゃん」の舞台となっているトモエ学園。
実在した学校なのですが現在はなくなっています。
その理由は園長の死だったようです。
この記事ではトモエ学園がなぜなくなったのか、
現在どうなっているのか調べてみたいと思います。
トモエ学園の現在は?
1978年に廃園

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「窓ぎわのトットちゃん」の舞台となっており、
黒柳徹子さんが実際に通っていた学校「トモエ学園」。
リトミック研究者、幼児教育研究家の小林宗作さんが、
リトミックによる創造教育を掲げて創設した学校です。
東京都目黒区自由が丘にありました。
「窓ぎわのトットちゃん」では、
子どもの個性を重視し、その個性を伸ばす
というトモエ学園の素晴らしい教育方針が語られています。
しかしトモエ学園は1978年に廃園になっており現在はありません。
素晴らしい学校だったにもかかわらず、
なぜなくなったのでしょうか。
その原因について次の章で見ていきましょう。
廃園は園長・小林宗作の死が原因

トモエ学園が廃園になった主な原因は、
園長の小林宗作さんが亡くなったからでした。
小林宗作さんは、
1937年、44歳の時にトモエ学園を創設しましたが、
1963年に69歳で亡くなっています。
園長の死により閉園となったトモエ学園は、
事実上廃園となってしまったのです。
しかし廃園に至るまでには、
戦争による空襲で校舎が焼失するなど、
さまざまな経緯がありました。
トモエ学園の歴史を詳しく見てみましょう。
1928年自由ヶ丘学園が創設される

https://smtrc.jp/town-archives/city/jiyugaoka/p05.html
1928年:手塚岸衛により自由ヶ丘学園を創設される
1936年:手塚岸衛死去により中学校部門は現在の自由ヶ丘学園高等学校となる
トモエ学園の前身は「自由ヶ丘学園」でした。
自由ヶ丘学園は、
自由教育を提唱する教育者・手塚岸衛さんによって創設された、
中学校(旧制)、小学校、幼稚園からなる学校です。
しかし1936年に手塚岸衛さんが死去すると、
学園は経営難に陥ってしまいます。
その後、東京大学などで教鞭をとっていた藤田喜作さんが、
中学校部門を引き継ぐことになります。
この学校は現在の自由ヶ丘学園高等学校です。
小学校と幼稚園を引き受ける形になったのが小林宗作さんでした。
そしてトモエ学園と名称を変えて運営していくことになったのです。
1937年トモエ学園が創設される

https://kotaenonai.org/blog/satolog/8069/
自由ヶ丘学園の小学校、幼稚園を受け継いで誕生したトモエ学園。
小林宗作さんによる「リトミックによる創造教育」が始まりました。
しかし小学校はたった8年という短い歴史で終わってしまいます。
その経緯を見てみましょう。
1937年:小林宗作によりトモエ学園が創設される(小学校、幼稚園)
1944年:太平洋戦争激化により多くの生徒が疎開する
1945年:東京大空襲により校舎が焼失
1946年:小学校は廃校、幼稚園のみ再建する
1963年:小林宗作の死去に伴い幼稚園が閉園
1964年:トモエ幼稚園は事実上廃園となる
1978年:トモエ幼稚園の廃園届が認可される
このように、
小学校は空襲で校舎が焼失して廃園
幼稚園は空襲後再建されるが、園長の死により廃園
トモエ学園廃園には、
このような避けられない事情があったのですね。
跡地は商業施設になっていた

https://twitter.com/toshoken_news/status/1394670809147269122/photo/1
1978年に廃園となってしまったトモエ学園。
現在その場所はどうなったのでしょうか。
1964年にトモエ学園が事実上廃園となった後、
跡地は商業施設になっていました。
1968年:ピーコックストア自由が丘店が開店
2021年5月:ピーコックストア自由が丘店が閉店
2023年10月:自由が丘 デュ アオーネが開店
ピーコックストア自由が丘店は、
50年以上地元住民から愛されたスーパーでした。
2021年に閉店する際には、
- トモエ学園小学校
- その前身の自由ヶ丘学園
の歴史を伝えるボードが展示されるなど、
トモエ学園との繋がりを最後まで大切にしていたことがうかがえます。
ピーコックストア自由が丘店は途中から
イオングループ傘下となり、イオンマーケットが運営をしていました。

https://twitter.com/vamos_bay/status/1715175543954624873/photo/1
2023年にオープンした自由が丘 デュ アオーネは、
これまでのイオンモールは違った新たな商業施設としてオープンしています。
地下2階、地上4階建ての施設は緑に囲まれており、
まるで公園のような空間です。
おしゃれな街自由が丘にふさわしい素敵なスポットですね。
トモエ学園の記念碑が建てられていた

https://jiyugaoka.keizai.biz/photoflash/1228/
現在は商業施設になっているトモエ学園の跡地ですが、
その商業施設の中にトモエ学園の記念碑が建てられています。
1988年、大丸ピーコックは店頭の土地の一部を無償で提供。
同窓生たちの寄付金によって記念碑が建てられました。
上の写真は1988年の記念碑除幕式の写真です。
記念碑の横にはトモエ学園卒業生の黒柳徹子さんの姿もありますね。

https://jiyugaoka.keizai.biz/headline/1641/
記念碑の碑文には、
- 自由が丘の地名は、「自由ケ丘学園」に由来すること
- 手塚岸衛が「自由教育」を目指したこと
- 小林宗作が「リトミック」による創造教育を実践したこと
などが刻まれています。
2021年の閉店時には、
トモエ学園卒業生の黒柳徹子さんが、
トモエがここにあったという記念碑は、
ピーコックが大切に残しておいて下さいました。
というメッセージを寄せていました。
2023年の記念碑除幕式に黒柳徹子が出席!

https://natalie.mu/comic/gallery/news/550414/2196390
1988日にトモエ学園の記念碑が建てられてから35年が経った、
2023年11月24日に再び記念碑除幕式が行われ、
トモエ学園卒業生の黒柳徹子さんが参加しました。
今年4月に記念碑の下のタイムカプセルを開封したところ、
水没してしまっていたため、
改めてタイムカプセルに品を収めて石碑を設置したそうです。
前回の除幕式以来35年ぶりに、
トモエ学園跡地を訪れた黒柳徹子さんは、
トモエ学園があったということを遺すことができてよかった。
人生で1番幸せだったのは、この学校に通っている時でした。
などと語ったそうです。
トモエ学園を受け継いだ園がある?
国立音楽大学附属幼稚園

https://onyo.ed.jp/contents/guide/history.html
自由教育を目指した自由ケ丘学園を受け継ぎ、
リトミックによる創造教育を実践したトモエ学園。
トモエ学園での日々を描いた「窓際のトットちゃん」を読んだ方々からは、
こんな学校に子どもを通わせたかった!
という声がSNS上に溢れています。
そこで調べてみたところ、
トモエ学園を受け継いだ園があることがわかりました。
東京都国立市にある国立音楽大学附属幼稚園です。
国立音楽大学附属幼稚園は、
1950年、初代園長に小林宗作さんを迎え創設された幼稚園です。
現在も小林先生が作った曲を歌い継ぎリトミック教育を行っています
- 自然と対話すること
- 個性を大事にすること
- 音楽の力を教育に生かすこと
- みんな一緒にすることの大切さ
このような小林先生の教えは今も色あせることなく、
受け継がれているそうです。
トモエ学園という名前の学校はなくなりましたが、
トモエ学園の精神はきちんと受け継がれているのですね。
トモエ学園の藤の木がある

https://cocreco.kodansha.co.jp/cocreco/general/books/picturebook/HrrPV
国立音楽大学附属幼稚園がトモエ学園を受け継いでいる象徴的なものが、
幼稚園の庭にある藤の木です。
子どもたちはこの藤棚の下で遊ぶのがとても好きなのだそうです。
この藤の木はトモエ幼稚園から運ばれてきたもの。
子ども達はこの藤の木を「トモエふじ」と呼び
大切にしているそうですよ。









まとめ
今回は「窓ぎわのトットちゃん」の舞台であるトモエ学園について、
なくなった理由や現在の跡地についてまとめてきました。
戦争や園長の死により途絶えてしまったトモエ学園ですが、
記念碑やトモエ学園の精神を受け継いだ幼稚園があるようです。
小林先生の教えはこれからもずっと続いていくことでしょう。