フェイブルマンズのラストに脱帽!地平線の位置が意味するものとは?

スピルバーグの自伝的映画「フェイブルマンズ」。

ラストショットの「地平線」の位置について

色々な意見が飛び交っています。

ネット上の意見を参考にしながら、

地平線の位置が意味するものを

考えてみたいと思います。

ネタバレを含みますので本作鑑賞後に記事をご覧ください

記事は公式サイトを元に情報や画像を使わせていただいております。

目次

「フェイブルマンズ」地平線の位置が意味するものとは?

ジョン・フォード監督へのリスペクト

スピルバーグの自伝的作品の本作。

主人公のサミーは、

スピルバーグの実体験をもとにした

キャラクターとされています。

映画ラストで大学生になったサミーは、

なかなか映画関係の仕事に採用されず、

学業と映画の間でもがいていました。

そんな中ついに、

CBSテレビドラマのアシスタントスタッフという

仕事のチャンスが巡ってきます。


Wikipediaより

その面接で重役の一人に気に入られたサミーは、

「リバティ・バランスを射った男」などで知られる

巨匠ジョン・フォード監督のオフィスに

通されます。

そこに現れたジョン・フォード監督は、

突然、

絵の地平線の位置について語ります。

地平線が画面の上でも下でもいい絵になる。
地平線が真ん中にあると死ぬほどつまらない。

神のような存在の監督から

直々にアドバイスをもらったサミーは

嬉しそうにオフィスを出て、

歩いていくのでした。

この時映し出されたシーンは

地平線の位置が真ん中。

すると、

すぐにカメラが上を向き、

地平線はスクリーンの下の位置に

なるのでした。

これは、

ジョン・フォード監督へのリスペクト

を意味する演出なのでしょう。

実話をもとにしたエピソード

このサミーとジョン・フォード監督のエピソードは

実話がもとになっています。

映画では5分だけ面会時間を与える

と言われていましたが、

実際には1分だけだったそうです。

ジョン・フォード監督は、

若き日のスピルバーグに対して

地平線へのアドバイスをした後に、

このことがわかったら
あんたはいつの日かすぐれた監督になれるかもしれない。
わかったら出て行け。

と言ったそうです。

スピルバーグが影響を受けた監督の一人


Amazonより

スピルバーグ監督は、

・ウォルド・ディズニー
・ジョン・フォード
・スタンリー・キューブリック
・アルフレッド・ヒッチコック
・デヴィッド・リーン
・黒澤明

このような巨匠たちから

影響を受けたことを明かしています。

その中でもジョン・フォードは

大好きな監督だといいます。

西部劇の神様とも言われる

ジョン・フォード監督。

スピルバーグのアクション映画には、

ジョン・フォードの西部劇における演出が

取り入れられていると言われています。

この「地平線へのアドバイス」も

とても印象深い体験だったから

映画のラストに取り入れたのでしょう。

映画は見せ方次第でいかようにもなる

この地平線の位置が変わるラストショットには、

映画は見せかた次第でいかようにもなる

という意味も込められていると思われます。

本作では、

スピルバーグ映画の原点が描かれているのですが、

そこには映画がもつ光と影がありました。

この影の部分のエピソードが

ラストの「地平線の位置」

に繋がっていると思われます。

そのエピソードとは

・学校行事の映像
・家族キャンプの映像

この2つです。

学校行事の映像

ユダヤ人の転校生ということで

高校になじめずにいたサミー。

学校の中心的な男子生徒ローガンと

その友達のチャドにいじめられていました。

そんな中、

学校行事の映像編集を頼まれたサミーは

・ローガンは、いつも以上にかっこよく英雄的な男に演出
・チャドは、情けないシーンばかりを繋いでかっこ悪い男に演出

このような映像にまとめます。

そしてこの映像を見た同級生たちは

ローガンを賞賛し大盛り上がり。

一方でチャドはみんなに馬鹿にされるのでした。

家族キャンプの映像

家族のキャンプ旅行のホームビデオを

編集することになったサミー。

編集作業をする中で、

一緒に参加していた父の親友ベニーと

母ミッツィが親密そうに寄り添うシーンを

いくつも見つけてしまいます。

母の浮気を確信したサミーは

激しく動揺しながらも、

母とベニーが寄り添うシーンをカットして、

幸せな家族キャンプの映像にまとめます。

家族みんなの前で上映し、

幸せな空気に包まれました。

しかしサミーは、

母とベニーの親密シーンだけを

編集した映像も作っていました。

母への嫌悪感が募ってしまったサミーは

ついにその映像を母に見せ、

母ミッツィは泣いて謝罪するのでした。

映像作りの怖ろしさ

サミーの作った映像によって

「英雄」と「情けない男」に仕立てられた

ローガンとチャドのエピソード。

同じ家族キャンプの映像から

「幸せホームドラマ」と「浮気の証拠映像」

を作ったエピソード。

映画は、

見せかた次第でいかようにもなること、

そしてそれが観客には真実のように伝わる

という怖ろしさ痛々しく伝わってきました。

この映画の「影」の部分が、

ラストの地平線の位置に繋がります。

同じ画でも、

地平線の位置を変える

つまり見せかたを変えるだけで

良くも悪くもなってしまう

ということが、

地平線の位置が変わったシーンに込められていたのだと

思われます。

「フェイブルマンズ」地平線の位置が真ん中だとつまらない理由とは?

そのまま真実を伝えてもつまらない

ジョン・フォード監督は、

地平線が画面の上でも下でもいい絵になる。
地平線が真ん中にあると死ぬほどつまらない。

と言い放つのですが、

これは単純に画の美しさについて

だけではないでしょう。

地平線が上の画=登場人物を崇める視点
地平線が下の画=登場人物を蔑む視点

極端ではありますが、

このように登場人物を

上からor下から見て描くことで

映画は面白くなるということでしょう。

地平線が真ん中、

つまり登場人物をそのまま描く=真実をそのまま描いても

面白くない映画になる

ということではないでしょうか。

ローガンのエピソードに繋がる

サミーは

高校のリーダー的存在のローガンを

より一層かっこよく見えるように

過剰な演出をしました。

これにより、

ただの学校の思い出ビデオが

短編映画のような面白さになり

上映会は大盛り上がりになりました。

ローガンをそのまま描いたら

つまらない映像になっていたのでしょう。

サミーはこの時、

どうしてこのような演出をしたのかローガンに聞かれ、

いい映画をつくりたかっただけだ

と答えています。

サミー、つまりスピルバーグは、

高校生の時にすでに

ジョン・フォード監督の極意に

従っていたと思うと、

胸が熱くなりますね。

ただ穏やかな映画はつまらない

地平線が真ん中にあると死ぬほどつまらない。

この言葉には、

地平線が真ん中、

つまり穏やかな位置にある映画はつまらない

とも解釈できるでしょう。

穏やかな位置で描こうとする=簡単に描こうとする

これでは全く面白い映画はならない

ということではないでしょうか。

納得できる映画を作るためには

孤独や残酷さに立ち向かわなくてはならない。

そうすることではじめて、

観客に面白いと思ってもらえる映画が作れる

ということだと解釈できます。

それでも僕は映画が好きだ

ジョン・フォード監督の

地平線が真ん中にあると死ぬほどつまらない。

という言葉には、

・映画は偽りを描いてこそ面白くなる
・映画を作ることは簡単ではなく、傷みを伴うものだ

このような意味が込められていたと

考えられます。

地平線の位置が変わったラストショットは、

ジョン・フォード監督へのリスペクトと共に、

このような映画の「闇」の部分を受け入れることへの

覚悟の現れのように思えます。

しかしこの時のサミーの表情は

希望に満ちた晴れやかなものでした。

映画は光だけじゃなく影の部分もある

それでも僕は映画が好きでたまらない

というスピルバーグの

熱い想いが込められているのでは

ないでしょうか。

まとめ

今回は、

「フェイブルマンズ」ラストの

地平線の位置について考えてきました。

数秒のショットに

多くのことを詰め込んだ

スピルバーグ監督。

そのセンスの良さと巧さに

胸が震えるラストでした。

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