スピルバーグは何がすごいのでしょうか。
子供時代のすごいエピソードから
超人気映画監督して君臨し続ける
スピルバーグのすごさまで、
まとめてみたいと思います。
スピルバーグは何がすごいのか?
子供時代に撮影する楽しさを知る
スピルバーグの映画との出会いは6歳の頃。
父親に連れられて映画館で観た、
「地上最大のショウ」(1952年)でした。
世界最大のサーカスで繰り広げられる
華麗なショーや団員たちのドラマが描かれる映画なのですが、
少年スピルバーグが
もっとも心奪われた場面は、
列車と車の衝突シーンでした。
父にお願いして列車セットを買ってもらうと、
衝突シーンを再現して
遊んでいたそうです。
しかし衝突させるたびに列車は壊れ、
父親に怒られたといいます。
カメラで撮影することを思いつく
そこでスピルバーグが思いついたのが、
カメラで衝突シーンを撮れば、
何度も繰り返し見て楽しめる!
ということでした。
たまたま家にあった8ミリカメラで撮影すると、
すっかり夢中になった少年スピルバーグ。
ただ撮影するのではなく、
カメラを線路と同じ高さにおいて
迫力ある映像にするなど、
どうやったらどんな映像になるか
を追求したといいます。
子供時代から読字障害があった
スピルバーグは
自ら読字障害だったことを明かしています。
読字障害とは、
読み書きに困難がともなう学習障害です。
実は意外と一般的なものなのですが、
当時は今のように理解されていませんでした。
学校では読み書きが遅いことに対して
ひどいいじめを受けていたそうです。
結局小学校は2年遅れて卒業しています。
そのような状況の中でも、
映画の存在があったことで
自信をもって生きることができた
と後に語っていました。
ちなみにスピルバーグは、
今でも脚本などを読む時は
普通の人の2倍の時間がかかるそうです。
13歳で映画制作を行う
子供時代に映画に魅了されたスピルバーグは、
なんと13歳の時に映画製作をしています。
「Escape to Nowhere」
という約40分の戦争映画です。
この映画は、
スピルバーグの自伝的映画である
「フェイブルマンズ」にも出てきます。
「逃げ場なし」というタイトルの映画で
本格的な戦争映画でした。
このEscape to Nowhereは、
アリゾナ州の映画大会で1位に選ばれたそうです。
16歳で興行収入を得る
16歳になったスピルバーグは、
2時間半の長編作品「Fire light」を制作します。
空中にある不思議な光を探求する科学者たちを描いた、
スピルバーグ初のSF作品でした。
スピルバーグのすごいところは、
この時すでに映画の興行収入を得て、
それを制作費にあてたことです。
この作品の作るにあたり、
制作費500ドルを父親から借りたそうです。
そして仕上がった映画は
映画館を借りて上映。
観客から入場料を取り、
その売上を父親に返済したといいます。
17歳で映画業界へ
17歳の時、
アリゾナに住んでいたスピルバーグは
カリフォルニアに遊びに行ったときに、
ユニバーサル・スタジオをバスで回るツアーに参加したそうです。
ここでもスピルバーグはすごい行動をします。
ユニバーサル・スタジオを見学中にトイレに隠れ、
バスがいなくなった後に、
自由にスタジオ内を歩き回ったといいます。
しかも、
そこで映像係のスタッフに気に入られて、
3日間自由に出入りできる通行証を
発行してもらったそうです。
スピルバーグはその3日間で人脈を作り、
その後も、
顔パスでスタジオを出入りしたといいます。
映画製作の腕だけでなく、
コミュニケーション能力もすごい人だったのですね。
21歳でユニバーサルと契約
ユニバーサル・スタジオを出入りしていた
スピルバーグはさらに人脈を広げ、
資金調達をして映画の制作に取り掛かります。
「アンブリン」という短編映画を制作すると、
ベニスとアトランタの映画祭で入賞。
当時のユニバーサルの社副社長が
スピルバーグの才能を認め、
ユニバーサルと7年契約を結ぶことになります。
スピルバーグのハリウッド帝王としての無敵のすごさ
20代~30代で超人気映画監督に
「続・激突! カージャック」(1974年)で
劇場用映画の監督としてデビューすると、
スピルバーグは若くして
その才能を認められていきます。
・「ジョーズ」(1975年):29歳
・「未知との遭遇」(1977年):31歳
・「E.T.」(1982年):36歳
・「インディ・ジョーンズ/魔宮の伝説」(1984年):38歳
これらの映画史に残る名作を
20~30代で作り上げたスピルバーグ。
スター監督として
絶対的な人気を誇っていました。
スピルバーグの名前だけで映画がヒット
スター監督となったスピルバーグは、
監督ではなく、
製作・製作総指揮の立場で
映画を大ヒットさせていきます。
「ポルターガイスト」(1982年)
「グレムリン」(1984年)
「バック・トゥ・ザ・フューチャー」(1985年)
「グーニーズ」(1985年)
これらの作品はスピルバーグ製作・製作総指揮作品です。
製作総指揮は実は明確な仕事内容は決まっておらず、
いわゆる名前貸しのようなものです。
ベテラン監督が若い監督を支援するという
側面もあるようです。
1980年代は、
スピルバーグが監督していなくても、
スピルバーグの名前があれば映画が大ヒットする
そんなスピルバーグ全盛期でした。
子供にも大人にも響く作品が作れる監督
1980年は、
スピルバーグ監督作品:9本
スピルバーグ製作総指揮:18本
という超人気映画監督だったスピルバーグ。
しかし、
娯楽性の高い作品が多かったことから
子供向け映画は作れるが、
大人向けの映画は作れない
と揶揄されることもありました。
実際、これほどヒットがあるにもかかわらず、
アカデミー賞監督賞に選ばれることは
ありませんでした。
1990年代は戦争映画が大ヒット
しかし1990年代は、
大人向けの戦争映画を手掛け、
アカデミー賞監督賞を受賞しました。
「シンドラーのリスト」(1993年):作品賞、監督賞を受賞
「プライベート・ライアン」(1998年):監督賞を受賞
この2作品は、
これまでの大人向きの映画は作れない
という評価を180℃変えることになる衝撃作でした。
現実の戦場へ放り投げられたような
凄まじいシーンの連続に、
スピルバーグ監督の新たな力を
見せつけられました。
2000年以降は政治的作品も
さらに2000年代以降は、
「ミュンヘン」(2005年)
「リンカーン」(2012年)
このような政治的な骨太作品も手掛けています。
「E.T.」「インディ・ジョーンズ」のような
子供が楽しめる映画から、
大人が楽しめる作品まで作れる監督は、
スピルバーグが唯一かもしれません。
だからこそ、
世代を超えて、
時間を超えて映画ファンを魅了し続けているのでしょう。
トップに君臨し続けるすごさ
現在スピルバーグは70代後半に突入しています。
しかし、
映画製作に対する意欲は一切衰えていません。
2017年の「ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書」は
トム・ハンクスとメリル・ストリープの
渋い演技が光る社会派ドラマでした。
次に公開されたのは
2018年の「レディ・プレイヤー1」。
アーネスト・クラインの小説を映画化した
SFアドベンチャー。
高校生の主人公が、
仮想ネットワークシステムの謎を探るという
前作とは全く違った作品でした。
この作品は、
過去10年間でスピルバーグ監督作品の中で
最高のオープニング成績を記録し、
バリバリの現役であることを見せつけました。
そして次に手掛けたのが、
スピルバーグ監督の自伝的作品の「フェイブルマンズ」です。
ついに自伝映画を撮ったということで、
スピルバーグ監督引退説が囁かれる事態となったのですが
監督自身きっぱりと否定。
なんと次回作は、
ハリソン・フォード主演の傑作
「インディ・ジョーンズ」の最新作とのことです。
・社会派
・SFアドベンチャー
・自伝作品
・冒険アドベンチャー
ここ数年だけ見ても、
これだけ違った作品を作り続けているすごさ。
どれだけ映画が好きなんだ
と思えてなりません。
映画に魅了された6歳の少年の時の気持ちが
おそらく今でも原動力になっているのでしょう。
しかもそれぞれの映画をヒットさせ、
トップに君臨し続けるすごさ。
スピルバーグ監督にしかできない
未知の領域と言えるでしょう。
まとめ
今回はスピルバーグのすごさについて
まとめてきました。
すでに映画監督としての
才能を開花させていた少年時代。
さらにその後のヒットメーカー
としてのすごさなど、
知れば知るほどすごい監督であることがわかります。
これからの活躍にも大いに期待したいと思います。