スタジオポノック最新作の「屋根裏のラジャー」は、
泣ける深いストーリーと称賛の声が多い一方で、
わかりにくい部分が多いという意見もあります。
この記事では、
黒い女の子の正体やイマジナリーフレンドなど、
やや理解が難しい部分について、
ネット上の考察を参考にまとめていきたいと思います。
ネタバレを含みますので本編ご鑑賞後に本記事をご覧ください。
屋根裏のラジャー考察9つ!
1つ目:黒い女の子の正体
バンティングと行動を共にしている黒い女の子。
白い肌で目がくぼみ幽霊のような不気味な容姿で、
黒い服と黒髪が印象的な女の子です。
図書館にいるイマジナリの話によると、
彼女はバンティングのイマジナリーフレンド
であることがわかります。
もとはきれいな顔で明るく笑顔な女の子でした。
バンティングの影響で暗くなった
彼女が暗く不気味な女の子に理由はバンティングでした。
バンティングはイマジナリを食べて、
何百年も生き続けている男です。
イマジナリ(黒い女の子)と、
ずっと一緒にいたいと考えた少年バンティングは、
大人になっても想像する力が欲しいと考えました。
そしてある時、他の子のイマジナリを食べてしまったのです。
それがきっかけとなり、
イマジナリを食べては想像力と取り込み、
長い間生きながらえてきたのです。
そんなバンティングに対して悲しい気持ちになった女の子は、
しだいに暗くなったようです。
自分と一緒にいるために闇落ちしたことについて、
罪悪感もあったのでしょう。
バンティングは何百年も生きているとされています。
女の子も悲しみや罪悪感も
その長い年月で深く大きなものになり、
幽霊のような不気味な女の子になってしまったのでしょう。
バンディングに食べられて消えてしまった
黒い女の子は、
バンティングに自ら食べられるという
衝撃的な結末で終わります。
悲しい表情を浮かべながら食べられる姿が
とても切なかったですね。
女の子を飲み込んでしまったバンティングは、
消失してしまいました。
なぜ黒い女の子は自らバンディングに飲み込まれて、
そして彼と一緒に消えてしまったのでしょうか。
2つ目:黒い女の子が自ら食べられた理由
ラジャーとアマンダの友情を目の当たりにした女の子。
かつて自分とバンティングも、
ラジャーとアマンダのような関係であり、
それを思い出したのではないでしょうか。
そして闇落ちしてしまったバンティングに対し、
哀れみや悲しみがつのり、
彼を止められるのは自分しかいない
と思って自分を犠牲にして、
バンティングを消滅させたのではないでしょうか。
最後の彼女の悲しい表情の理由は、
そんな複雑な心境だったからでしょう。
3つ目:イマジナリーフレンドとは
本作にはラジャーをはじめ、
イマジナリーフレンドがたくさん登場します。
本作におけるイマジナリーフレンドは、
ただ子どもの空想から生まれた、
ファンタジー的なものではありませんでした。
物語が進むにつれて、
子どもの悲しみや恐怖から
生み出された存在であることがわかってきます。
- ラジャー:父の死を乗り越えるために作られた
- エミリ:病気の女の子の代わりに飛び回るために作られた
- ジンザン:暗闇に怯える子が夜に安心して眠れるために作られた
そんな彼らの真の目的は、
子どもの悲しみや恐怖を取り除くのではなく、
それらを受け入れる手助けをすることではないでしょうか。
ラストでラジャーはアマンダに、
喜びも悲しみも繰り返して大人になる。
どんな時も僕はアマンダの中にいる。
と言います。
子どもたちは成長する過程で、
喜びだけでなく悲しみを経験するでしょう。
イマジナリーフレンドは、
悲しみをすべて取り除くことはできません。
だから悲しみを受け入れる手助けをすることが
イマジナリの本当の役割なのではないでしょうか。
アマンダもラジャーもそれを悟ったから、
最後は笑顔で別れを受け入れたのでしょう。
4つ目:バンティングがラジャーを狙った理由
バンディングは他の子のイマジナリを、
捕食しながら生き延びているのですが、
特にラジャーに執着しどこまでも追いかけてきました。
エミリやジンザンなど他のイマジナリよりも、
どうしてラジャーだけを狙ったのでしょうか。
その理由は悲しみから生まれたイマジナリだったからです。
バンティングはラジャーに対して、
強い悲しみのスパイスが効いている
と言っています。
ラジャーは父を亡くし大きな悲しみを抱えていたアマンダが
その悲しみを乗り越えるために作り出したイマジナリです。
バンティングにとって、
その悲しみのスパイスはとても魅力的なものだったようです。
「バンティングが狙う=大きな悲しみから生まれたイマジナリ」
ということなのですね。
父を失ったアマンダの悲しみは、
いかに大きいものだったのかがわかりますね。
5つ目:傘に書かれた言葉の意味
アマンダが屋根裏のクローゼットにしまっていた傘。
これはパパに買ってもらった大事な傘でした。
そしてその傘にはある言葉が書いてありました。
パパを忘れないこと、ママを守ること、ぜったいに泣かないこと
父を亡くした後にアマンダが書いた言葉でした。
この言葉こそラジャーを生み出したものだったのです。
アマンダとラジャーの誓いの言葉である、
消えないこと、アマンダを守ること、絶対に泣かないこと
と対になるわけですね。
ラジャーの黄色い髪の色は、
この黄色い傘の色ということなのでしょう。
6つ目:母が涙した理由
アマンダが交通事故に遭った後、
母リジーはアマンダの傘に書かれている、
パパを忘れないこと、ママを守ること、ぜったいに泣かないこと
という言葉を見つけて涙するシーンがあります。
アマンダの優しさを知った
アマンダの父が亡くなった理由は語られていませんが、
彼の死によりリジーは新しい仕事と子育ての両立で手一杯の状態でした。
現実に押しつぶされそうになるなか、
娘のアマンダは何度言っても濡れた傘をクローゼットに入れてしまうし、
空想の友だちを遊んでばかり。
態度に出さないようにはしていましたが、
そんなアマンダを理解できなかったのでしょう。
しかし実はアマンダは母リジーに必死で寄り添い、
守ろうとしていたのです。
傘の言葉を見てそんなアマンダの気持ちを知ったリジーは
思わず泣いてしまったのでしょう。
7つ目:ラジャーが涙を流すことができた理由
本作におけるイマジナリは、
創造者が想像した制限のもと生きています。
例えば猫の姿をしたイマジナリ・ギンザンは、
闇が怖い子どもが「夜ずっと起きていて見守っていてほしい」
という思いからギンザンを作り出したため、
ギンザンは眠らない体になっています。
アマンダはラジャーに「泣かないこと」というルールを作っているため、
ラジャーは涙を流すことができません。
ところがラストでラジャーは大粒の涙を流しました。
おそらくこれは、
ラジャーはマジナリとは違う存在になったから
ではないでしょうか。
アマンダはラジャーとの別れを決意しますが、
ラジャーは
どんな時も僕はアマンダの中にいる。
とアマンダに言います。
イマジナリは子どもの成長と共に忘れ去られる存在ですが、
ラジャーはそれ以上の大きな存在になったのはないでしょうか。
8つ目:イマジナリが自由ではない理由
アマンダの作った想像の世界で大冒険するラジャー。
なんでもありの想像の世界はとても自由なものに感じられました。
ところが実際のイマジナリの生活は
意外と自由ではありませんでした。
- 1日限定のイマジナリーフレンドとして働く必要がある
- 現実世界では扉を自分で開けられない
- 想像の世界の中で命を落とすと実際に死んでしまう
- 創造者のルールによる制限がある
イマジナリにはこのような制限があるのです。
自由な世界のはずが、
皮肉なことに意外と「現実的」です。
これはどうしてなのでしょうか。
想像の世界には限界がある
アマンダは父の死を乗り越えるために、
ラジャーを作り出し想像の世界に逃げ込もうとしました。
しかしずっと想像の世界にいても、
本当の意味での問題解決にはなりません。
想像の世界には限界があるのです。
そのため、
想像の世界を「ただ自由な世界」ではなく、
「制限のある世界」として描いたのではないでしょうか。
「想像の世界=制限がある」と描くことで、
反対に「現実世界=可能性に満ちた世界」
ということを伝えたかったのかもしれません。
9つ目:優しい色合いの意味
本作を手掛けるのは、
元スタジオジブリのスタッフが立ち上げた「スタジオポノック」。
ジブリを継承した素晴らしいファンタジーの世界が広がるのですが、
非常に優しい色合いの映像に仕上がっています。
これは子どもに寄り添う優しがが表現されているだと思います。
そして大人にとっては、
子ども時代のキラキラしたイメージを
思い出させてくれる映像でした。
脱ジブリのためだった?
本作はジブリっぽさが漂う部分もありますが、
脱ジブリを意識した雰囲気も感じられます。
それがこの優しい色合いの映像です。
最近のジブリ作品は、
優しいファンタジー映像だけでなく、
暗く重いダークな映像が多い傾向にあります。
本作はそのようなダークさをおさえ、
優しい映像をメインにしているため、
最近のジブリとは違った雰囲気が感じられました。
まとめ
今回は「屋根裏のラジャー」の考察をまとめてきました。
子どもが楽しめるファンタジー作品ではありますが、
意外と深い部分が多い作品である本作。
色々な考察を参考にしてみると、
また違った楽しみ方ができそうですね。