「バビロン」にはグロいシーンの多用や
ラストシーンなど、
「なぜ?」と思うシーンがいくつかありました。
今回はネット上の考察などを参考に
「バビロン」の疑問のシーンを探りたいと思います。
ネタバレを含みますので本作鑑賞後に記事をご覧ください
記事は公式サイトや公式Twitterを元に情報や画像を使わせていただいております。
「バビロン」の5つのなぜ?をネタバレ解説
1つ目:グロいシーンが多いのはなぜか
賛否両論ある本作。
その理由の一つはグロいシーンが
多用されていることでしょう。
・象の脱糞シーン
・欲望のままに行動する半裸の男女たち
・撮影中に誤って刺殺されるエキストラ
・蛇に首を噛まれるネリー
・お上品なパーティーで派手に嘔吐するネリー
・ネズミを丸飲みする大男
これ以外にも衝撃なシーンがいくつもあります。
汚いシーンや暴力シーンが苦手な方には
目を覆いたくなるシーンが多いでしょう。
チャゼル監督は、
なぜグロいシーンを盛り込んだのでしょうか。
リアルなハリウッドを描きたかった
古き良き時代のハリウッドというと、
・エレガント
・ゴージャス
・洗練されている
このようなイメージがあるでしょう。
実際にこのような要素があったのは事実です。
しかし倫理的規制がなかった1920年代のハリウッド。
このようなきれいな要素しかなかったわけがありません。
・クレイジー
・バイオレンス
・グロテスク
このような要素があったのも事実です。
チャゼル監督は映画の公式サイトにて
ハリウッド映画は自分の歴史について幻想を作り上げてきた。
本当は「ゴージャスでグラマラス」「クレイジーでグロテスク」があり
この両方を描くことこそ、ハリウッドの実態を捉える方法。
と語っていました。
本作の全編に散りばめられている
クレイジーでグロテスクなシーンは
当時のハリウッドをよりリアルに描くために
必須だったのでしょう。
2つ目:蛇のシーンの謎
トーキー映画の変化に戸惑うネリーは、
いつもの狂乱パーティーで悪ノリをして
周囲から冷たい目で見られてしまいます。
蛇と闘うと言い出し、
男たちに蛇と闘うようにけしかけますが、
みんな無反応。
そこで自ら蛇を大胆に掴むのですが
首を噛まれ大騒ぎに。
大事に至ることはありませんでしたが、
このネリーの行動は謎でした。
終焉のはじまりの象徴的なシーン
この蛇のシーンは
冒頭の狂乱パーティーの盛り上がりとは
明らかに違うものでした。
以前は盛り上がった悪ノリも今は通用しない。
蛇に噛まれて大暴れするネリーを
遠くから静かに見守るジャックの姿が印象的でした。
サイレント映画の大スターであるジャックは
この騒ぎを見ながらサイレント映画の終焉が近いことを
悟っていたのでしょう。
蛇のように生き返ることはできない
脱皮をして生まれ変わる蛇は
・再生する命のシンボル
・生命の力の象徴
などとされてきました。
蛇に挑んだネリーは
あっけなく噛まれてしまいます。
男たちは挑むことすらしませんでした。
ネリー達サイレント映画の業界人たちは
蛇のように再生することは難しい
ということを描いているのかもしれません。
3つ目:フリークショーの描写の謎
本作後半で登場するジェームズ・マッケイ。
ハリウッドの裏社会を牛耳る恐ろしい人物です。
彼から借金をしてしまったマニーは
秘密の危険なパーティーに連れていかれるのでした。
そのパーティーとは、
フリークショーいわゆる「見世物小屋」でした。
このフリークショーの描写に違和感がありました。
ネズミを丸飲みにする大男や
見世物にされる不気味な人々など
ショッキングなシーンも多く、
このフリークショーの必要性は何?
と思った方もいるでしょう。
フリークショーはエンタメの主流だった
本作はそれまで主流だったサイレント映画から
新しい時代のエンタメであるトーキー映画に移行する物語です。
サイレント映画は過去のエンタメとして衰退していき、
それを止めることは誰にもできませんでした。
そしてこのフリークスショーは、
衰退するサイレント映画と同じ存在として
劇中で描かれたのだと思われます。
フリークスショーは、ハリウッドがエンタメの中心になる前の19世紀後半から20世紀初頭にかけて、
アメリカで主流のエンタメとして多くの人を楽しませていたものでした。
しかしその後の医学の発達により
身体障害者は病気や遺伝的変異と認知されるようになると、
フリークスを見て楽しむという娯楽文化は衰退。
映画やテレビというエンタメに移行していったのです。
映画の行く末はフリークスショー?
本作で描かれたフリークスショーの世界は、
ハリウッド映画の行く末になり得るとも言えるでしょう。
かつてはエンタメの中心にいたフリークスショーが
今は地下の怪しげな場所で堕落したエンタメとして
生き残っています。
不気味なフリークスショーを見て恐怖を感じたマニーは、
ジェームズやフリークスたちに対する恐怖ではなく、
ハリウッド映画の末路に恐ろしさを感じたのかもしれません。
4つ目:なぜネリーは消えたのか
女優として落ち目になってきたネリーは
ギャングに借金をしてしまいマニーに助けを求めます。
マニーは偽札でその場を乗り切りろうとしますが失敗。
ギャングに追われ、
メキシコへ逃亡することになります。
マニーはメリーに一緒に逃げようと懇願。
出会った頃からお互いの気持ちを隠していた二人は、
ついにお互いに愛の告白をしてその場で婚約。
メキシコで新しい人生を歩むのかと思われました。
ところがマニーが荷造りをしている隙に
ネリーは車を降り、
夜の闇に消えてしまったのでした。
ハリウッドに未練があった?
ネリーはギャングの借金の件以前にも、
マニーがお膳立てしたパーティーを台無しにしていました。
これ以上マニーに迷惑をかけるわけにはいかない
と悟ったネリーは静かにマニーの元を去った
という解釈が自然でしょう。
しかし暗闇に消えたネリーは楽しそうに踊っていました。
その姿を見ると、
まだハリウッドで踊り続けていたい
と思ったからメキシコには行かなかった
という解釈もできます。
5つ目:なぜラストで未来の映画が出てきたのか
本作はかつてサイレント映画で成功したマニーが、
ハリウッドに戻ってきて、
「雨に唄えば」を見るシーンで幕を閉じます。
若き日のマニーが新人女優ネリーに
「映画を作って、意味のあるものの一部になりたい」
と野望を語るシーンがありました。
これが伏線となり、
「雨に唄えば」を見たマニーは
自分たちサイレント映画の業績が
この映画に繋がっていること、
自分がしてきたことが映画の一部になったことを悟り
涙を流すのでした。
ラストはチャゼル監督の視点?
しかしスクリーンには他にも、
映画史に残る名画の数々が映し出されます。
・「オズの魔法使」
・「市民ケーン」
・「ベン・ハー」
・「2001年宇宙の旅」
・「レイダース/失われたアーク」
・「ターミネーター2」
・「マトリックス」
・「アバター」
このように「雨に唄えば」以降の時代の映画も
映し出されたのでした。
つまりこれはマニーの視点ではありません。
おそらくチャゼル監督の視点なのでしょう。
チャゼル監督自身の、
「意味のあるもの=映画史」の一部になりたい
という野望が込められていたのだと思われます。
まとめ
今回は「バビロン」の疑問が残るシーンについて
ネタバレ解説をしてきました。
どのシーンも複数の解釈ができると思います。
いろいろな解釈を参考にして楽しんでくださいね。