映画バビロンは実話?モデルはジョン・ギルバートとクララ・ボウ!

サイレント映画時代のハリウッドを描いた「バビロン」。

ブラピやマーゴット・ロビーの役のモデルとなったのは

誰なのでしょうか。

モデルとなった俳優、女優について調べてみました。

ネタバレを含みますので本作鑑賞後に記事をご覧ください

記事は公式サイト公式Twitterを元に情報や画像を使わせていただいております。

目次

「バビロン」映画は実話?モデルとなった俳優・女優は?

【ジャック・コンラッド】のモデルはジョン・ギルバート

ブラット・ピット演じるジャック・コンラッド。

サイレント映画の大スターであり、

誰よりも映画を愛しています。

しかしトーキー映画が主流になったことで、

人気は失墜してしまいます。

モデルはジョン・ギルバート

ジャック・コンラッドのモデルは、

ジョン・ギルバート

サイレント映画のスターとして活躍した二枚目俳優です。

・「雨に唄えば」(1952年)
・「アーティスト」(2011年)

こちらの作品でもジョン・ギルバートが主人公として描かれました。

共演者の人気女優グレタ・ガルボをはじめ、

何人もの女性との交際と4回の結婚を経験しています。

劇中のジャックと同じように

トーキー映画に上手く適応できなかったジョン・ギルバート。

イメージよりも声が高いということで、

その演技は笑いのネタにされてしまいます。

劇中で初めてトーキー映画に出演したジャック。

「アイ・ラブ・ユー」を繰り返すシーンで観客から笑いが起きるのを

目の当たりにしてしまいますが、

これはジョン・ギルバートが出演したトーキー映画、

「彼の栄光の夜」(1929年)がモデルになっています。

実際に「アイ・ラブ・ユー」を繰り返すシーンで

爆笑が起きたそうです。

38歳で死去

劇中のジャックは銃自殺による最期でしたが、

ジョン・ギルバートの最期も悲しいものでした。

時代の流れに取り残されてしまった彼は

お酒に溺れ体を壊してしまい、

最終的に心臓発作で亡くなりました。

38歳という若さでした。

【ネリー・ラロイ】のモデルはクララ・ボウ

マーゴット・ロビー演じるネリー・ラロイ。

田舎育ちの彼女は天才的な才能で

女優への道を切り開き、

スター女優としての地位を確立しました。

モデルはクララ・ボウ

出典:Wikipedia

ネリー・ラロイのモデルは

女優のクララ・ボウです。

・NYブルックリンの貧しい家庭に生まれる
・アルコール依存症の父と精神病の母
・服も買えないほど貧しく、裸に近い状態で育った
・大人になってもブラジャーをつけなかったため「野生児」と言われていた
・過酷な環境から抜け出すために女優を目指した

このように壮絶な生い立ちだった彼女。

劇中のネリーの過去はあまり語られていませんが、

このようなクララの生い立ちは、

ネリーの生い立ちでもあるのでしょう。

ネリーは自分のマネージャーとなる父親に対して

疎ましそうな態度をとっていました。

実はクララは父親から暴力を受けていた過去がありました。

劇中のネリーも父親との間に問題があったのかもしれません。

演技の原点

劇中のネリーはいつでも自由に泣けることが評価され、

女優として成功しました。

どうして泣けるのか聞かれた彼女は

故郷を思い出せばいつでも泣けるわ

といったセリフを言っていました。

これもまたクララとの共通点です。

クララは、

泣くのは簡単。子供の頃を思い出せばいいから

と語っていました。

さらにクララは、

大人たちの顔色を見ながら

必要とされる自分を演じていたことから、

どんな演技もできるようになったそうです。

セックスシンボル

1922年に16歳で映画デビューしたクララは、

サイレント映画時代のセックスシンボルとなりました。

1927年公開の「あれ」 (原題: It)は大ヒットし

クララの代表作となりました。

「あれ」とは男性を惹きつける魅力のことで、

クララは「イット・ガール」と呼ばれました。

さらにそれ以降、

その時代のセックスシンボルは、

「イット・ガール」と呼ばれるようになったそうです。

晩年は精神病に苦しんだ

劇中のネリーはホテルで死亡しているところを発見されています。

34歳という若さでした。

クララはトーキー映画移行後に、

自分の時代は終わったと悟り、

結婚して田舎へ引越したそうです。

しかし子供の頃のトラウマなどが悪化し

精神病院に入るなど辛い晩年を過ごし、

60歳で亡くなりました。

【ルース・アドラー】のモデルはドロシー・アーズナー

チャゼル監督の妻でもあるオリビア・ハミルトンが演じた

女監督のルース・アドラー。

急遽キャスティングされたネリーの才能を瞬時に見抜き

彼女をスターにした人物です。

モデルはドロシー・アーズナー

ルース・アドラーのモデルはドロシー・アーズナーです。

ドロシーはサイレント映画~トーキー映画の時代に活躍した監督。

当時のハリウッドでは唯一の女性監督でした。

クララ・ボウの初のトーキー主演作である

「ワイルド・パーティー」を監督したのも彼女でした。

この作品の撮影風景は劇中にも登場しています。

慣れないトーキー映画の撮影に戸惑うスタッフたち。

何度も撮り直しをするシーンが印象的でした。

レズビアンを公言

ドロシーはレズビアンであることを公言しており、

16歳年上の振付師のマリオン・モーガンと

40年間も連れ添ったそうです。

ハリウッドを去った後は砂漠に住み、

82歳で亡くなりました。

【マニー・トレス】のモデルはルネ・カルドナ?

ディエゴ・カルバ演じるマニー・トレス。

映画製作を夢見るメキシコ出身の青年。

ジャックに気に入られたことがきっかけで、

ハリウッドでの地位を確立していきました。

https://twitter.com/toshi104nokima/status/1168006708385341445?s=20&t=F-FkBBSSO2WwMLu-wPayWA

マニーのモデルについては明言されていませんが、

メキシコ映画の黄金時代の監督である

ルネ・カルドナなどがモデルなのでは?

と言われています。

彼は監督であり俳優や脚本家でもありました。

映画業界でさまざまな仕事をこなすマニーと

リンクするところがあるでしょう。

【レディ・フェイ・ジュー】のモデルはアンナ・メイ・ウォン

リー・ジュン・リー演じるレディ・フェイ・ジュー。

サイレント映画の字幕を書きながら、

・昼間はチャイナタウンで働く
・夜はパーティーでセクシーな歌手として働く

と複数の仕事をこなしていました。

彼女のモデルとなったのは、

当時ハリウッドで人気だった中国系モデルの

アンナ・メイ・ウォンです。

立て続けに映画に出演し話題となるも、

いつも妖艶でミステリアスな東洋人女性

というキャラクターだったそうです。

東洋人に対するイメージや偏見に苛立つようになり、

ヨーロッパに渡り活動するようになりました。

劇中のレディ・フェイ・ジューも

ハリウッドに別れを告げ、

新境地へと旅立ちました。

まとめ

映画「バビロン」は

主演のジャックやネリーなど

実在する人物がモデルになっていることで

よりリアリティのある作品に仕上がっていました。

モデルとなった人物たちを知ると、

本作はもっと興味深いものに感じられるでしょう。

「バビロン」映画は実話モデルはジョン・ギルバートとクララ・ボウ!

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