「バビロン」タイトルの意味は古代都市!チャゼル監督の賛否両論の世界観を徹底考察!

「ラ・ラ・ランド」のデイミアン・チャゼル監督の最新作「バビロン」。

賛否両論が巻き起こっている本作について

深掘り考察したいと思います。

ネタバレを含みますので本作鑑賞後に記事をご覧ください

記事は公式サイト公式Twitterを元に情報や画像を使わせていただいております。

目次

映画「バビロン」10の考察

1つ目:映画タイトル「バビロン」の意味

タイトル「バビロン」の由来は

紀元前25世紀の古代メソポタミアにて

栄華を極めた後に衰退したとされる都市バビロンです。

誰も衰退することを疑わなかったサイレント映画業界。

しかしトーキー映画の出現により衰えていった様は、

まさに衰退した都市バビロンのごとくと言えるでしょう。

ネリーはバベルの塔?

古代都市バビロンにはバベルの塔があったとされています。

バベルの塔とは人類が建てた天に達するほど高い塔で、これに怒った神々によって破壊されたとされる塔。
神々は人間の思い上がりに怒り、それまで1つだった人間の言語をいくつにも分けて混乱させたと言われています。

映画「バビロン」ではネリーが

バベルの塔だったのではないでしょうか。

田舎出身の新人女優が一気にスターになるも、

結局ドラックやギャンブルにより

身を亡ぼすという結末。

新人時代から自信過剰だった彼女は

映画の神の怒りに触れてしまったのかもしれません。

2つ目:冒頭の狂乱パーティーの効果

本作の舞台は「ヘイズ・コード」試行直前の1920年代のハリウッド。

ヘイズ・コードとは、1922年に設立されたアメリカ映画製作配給業者協会が定めた自主検閲制度
これにより画面上で薬物使用やヌードが禁止されました。

冒頭の映画関係者による狂乱パーティーでは、

山積みのドラックや

半裸状態で入り乱れる人々など

驚くような乱痴気騒ぎが繰り広げられます。

1920年代のハリウッドがいかに堕落した無秩序な状態であるかが

冒頭ですぐにわかります。

同時に当時のハリウッドの

ゴージャスな煌びやかさや

とんでもないパワーも感じられました。

その後のハリウッドとの対比が際立つ

この狂乱パーティーの描写は強烈なインパクトがありました。

一気に映画の世界に引き込まれるでしょう。

そしてこの冒頭シーンには、

後半に描かれる

「ヘイズ・コード」による規制後の上品なハリウッド

との対比をより際立たせる効果がありました。

何でもありの狂乱パーティーでは

自分を魅力を存分に発揮することができたネリー。

狂ったように激しく踊る姿は美しさと神々しさがありました。

しかし規制後のお上品なパーティーでは

全く魅力を出すことができません。

結局醜態を晒してしまう痛々しいネリー。

もう狂乱パーティーでの魔法のような煌めきはありませんでした。

3つ目:「世界で最も魔法に満ちた場所」

冒頭の狂乱パーティーのシーンの中で

サイレント映画の大スター・ジャックは、

映画撮影セットを「世界で最も魔法に満ちた場所」

と表現します。

これは、本作を集約したセリフと言えるでしょう。

そしてセリフだけでなく、

このシーンの後に、

本当に「魔法に満ちた映画撮影現場」

を見せてくれるところに

チャゼル監督の映画愛を感じます。

カオス状態の撮影現場

広大な砂漠に組まれたセットでは、

戦争映画の撮影が行われていました。

しかしそこは狂乱パーティー同様にカオス状態。

・主演のジャックは泥酔状態
・急遽キャスティングされた新人女優ネリーへの無茶振りな演出
・矢が飛び交う超危険な合戦シーンの撮影

コンプライアンスなど存在しない時代、

撮影場所は何でもありの状態です。

こんな状態で本当に良い映画が撮れるの?

と不安になってしまいます。

撮影現場はさらにグダグダに

そんな中すべてのカメラが破損するトラブルが発生。

ジャックの助手であるマニーは、

新しいカメラを借りるために町に車を走らせます。

しかしなかなかカメラは手に入らず、

やっとカメラを手に入れ戻ってきたのは日没前。

日が沈んだら撮影ができないため、

大慌てで撮影準備をするスタッフとエキストラ。

しかし肝心の主演ジャックが泥酔していて歩けない。

撮影現場はもうグダグダです。

魔法がかかった瞬間

しかし数々のトラブルが重なったことで、

夕陽が沈む絶妙な瞬間に

丘の上でジャックがヒロインにキスするという

奇蹟的なシーンの撮影に成功。

さらに、

・酔っ払っていたジャックはカメラが回った瞬間すばらしい演技を見せる
・丘の下では大勢の兵士役のエキストラたちが迫力ある合戦シーンをバッチリ演じる
・どこからともなく蝶が飛んできて、ジャックの肩にとまる

このようなミラクルが起きました。

それまで諦めモードだった監督も、

美しい感動の表情に変わります。

撮影現場全体が神々しい空気に包まれました。

これがジャックの言う

「世界で最も魔法に満ちた場所」なのでしょう。

チャゼル監督の映画愛が詰まった名シーンでした。

4つ目:登場人物に感情移入しにくい理由

バビロンの主人公は3人です。

・映画女優になることを夢見るネリー
・映画製作に憧れるメキシコ出身のマニー
・サイレント映画の大スター、ジャック

さらに

・ハリウッドゴシップ記者のアエリノア
・黒人ジャズミュージシャンのシドニー
・サイレント映画の字幕を書いているフェイ

などの人間ドラマも交錯しながら進みます。

しかし登場人物それぞれのストーリーが

いまいち深掘りされておらず、

感情移入しにくいと感じた方もいたようです。

例えばブラット・ピット演じるジャックのエピソードも

細切れになって描かれるため、

最後の死に至るシーンまでの盛り上がりが

物足りなく感じました。

マーゴット・ロビー演じるネリーの最後も

消えるように立ち去るだけ。

しかしこのようなドライな人物描写は

意図的なものだったと思われます。

主役は映画史

本作では「自分自身よりももっと大きなもの」という言葉が多用されています。

「もっと大きなもの」とは映画史でしょう。

本作の主人公はネリーやジャックではなく映画史なのです。

そのため登場人物に必要以上に感情移入させないように

ドライな演出をしたのではないでしょうか。

映画史という巨大な存在と比べると、

ネリーやジャックは

映画に関わってきた無数の人間の一人という存在に過ぎない

ということを言いたかったのかもしれません。

5つ目:死の描写が多い理由

エンタメ業界の華やかさとは裏腹に、

本作では死が多く描かれています。

・狂乱パーティーで死亡した若手女優
・戦闘シーンで刺殺されたエキストラ
・トーキー映画のスタジオで暑さに倒れて亡くなったスタッフ
・偽札がバレて撃ち殺されたマニーの仲間たち

このように死の描写が多い理由は、

当時の映画業界は死と隣り合わせの恐ろしい世界でもある

ということを伝えたかったのではないでしょうか。

1920年代のハリウッドは警察の力も弱く、

まさに無法地帯だったといいます。

古き良きハリウッドと言えば、

洗練された美しいイメージがありますが、

実際は事故死や殺人が起きるような

クレイジーな世界だったという

メッセージが感じられました。

6つ目:「雨に唄えば」の影の部分を描いた作品

本作で描かれたサイレントからトーキー映画への移行は、

「雨に唄えば」(1952年)でも描かれた物語です。

声が悪いサイレント映画の女優に対し、

吹替のミュージカルにするという作戦が、

明るくコミカルに描かれました。

しかし実際にサイレントがトーキー映画に変わることは、

もっと壮絶なものだった

ということをチャゼル監督は伝えたかったのでしょう。

本作ではトーキー映画の出現により、

多くの映画関係者が滅んでいった悲惨さを

描いていました。

光の部分を描いた「雨に歌えば」に対し、

「バビロン」は闇の部分をリアルに描いた作品と言えるでしょう。

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7つ目:「映画の一部になりたい」の伏線回収

映画制作を夢見る青年マニーが新人女優ネリーに、

「映画を作って、意味のあるものの一部になりたい」

といったセリフを言うシーンがあります。

映画を作って成功したい

ではなく、その一部になりたいという

印象的な言葉でした。

そしてこのセリフは

感動のラストシーンに繋がります。

1920年代にハリウッドを離れNYで暮らしていたネリーが、

ハリウッドに戻り、

1952年公開の「雨に歌えば」を観るシーンがあります。

さらにスクリーンには

サイレントからトーキー映画に移行する時代の作品や

それ以降の作品まで映画史に残る名作が

次から次へと映し出されます。

映画の一部になれた喜び

サイレント映画で成功をおさめたマニーでしたが、

結局トーキー映画に馴染めず、

ハリウッドから逃げ出すかたちになりました。

成功者から敗北者へと成り下がってしまったのです。

現在はNYでオーディオ店を営んでいる

というセリフがありましたが、

おそらくハリウッドでの刺激的な毎日のような幸せは

感じられていないと思われます。

しかし、

ジャックやネリーたちと残したサイレント映画は、

その後も形を変えて存在していて、

自分たちの成功は永遠に映画の一部として残る

ということを悟ったのだと思います。

自分は決して敗北者ではない。

「映画を作って、意味のあるものの一部になりたい」

という夢は叶えられていたことがわかったのでしょう。

8つ目:ジャックが死を選んだ理由

サイレント映画の大スターだったジャックですが、

トーキー映画の誕生により人気は一気に下降。

初主演したトーキー映画の演技が

裏で馬鹿にされるなど、

ジャックにとって屈辱的な状況となりました。

そしてジャックは

銃を手に自らの死を選んだのでした。

エリノアの言葉の重み

ジャックの人気がなくなった理由の一つは

それまで求められていなかった、

声の演技が必要になったからでしょう。

しかしジャックは発音のレッスンを受けるなど、

トーキー映画での演技に磨きをかけようと奮闘していました。

初主演のトーキー映画の演技を馬鹿にされたくらいで

死を選ぶとは考えにくいです。

ジャックを死に追いやったものは、

時代が変わることに抗うことはできない
変化に理由はない

というゴシップ記者エリノアの言葉だったと思われます。

声の演技が下手だから人気が低下したのであれば、

改善の余地があります。

しかし時代の変化により

サイレント映画時代のスターは

理由なく興味を持たれなくなってしまう

ジャックはこの事実に耐えられなかったのでしょう。

これは現代のエンタメ業界にも言える

残酷な事実でもあります。

エリノアは希望も与えていた

サイレント映画の時代の終わりを悟ったジャック。

その終わりゆく時代のキングである自分は

この先惨めな人生しか残されていない

と悟り死を選んだのでしょう。

しかしエリノアはジャックに

俳優は死んでもその作品は何十年も観続けてもらえる
幸せなことなのよ

という希望も語っていました。

ジャックはこの言葉も噛みしめて

最期を遂げたと思いたいですね。

9つ目:サイレントからトーキー映画への移行の難しさとは

本作で描かれたサイレントからトーキー映画への移行の苦悩。

そこには2つの難しさがありました。

1つ目は俳優たちの声の演技の難しさ。

トーキー映画では声の高さや発音などすべてが評価されるため、

イチから声の演技を学ぶ必要がありました。

2つ目は撮影現場の難しさ。

大騒ぎしながら自由に行っていた撮影は一切NG。

マイクに雑音が入らないように、

現場はピーンと張り詰めた雰囲気です。

役者はマイクのある位置で演技する必要があるため

行動範囲が大幅に制限されることに。

その結果、

スタッフも役者もサイレント映画のように

イキイキと映画を作れなくなったのです。

この事実はとても興味深いものでした。

10つ目:映画業界の行く末は?

ラストで妻と娘と共にハリウッドに戻ってきたマニー。

映画撮影所の前で当時を懐かしみながら

ここはパパが昔働いていた場所なんだとよ

と娘に話しますが、

飽きちゃった

と映画撮影所に興味のない様子。

その後マニーは「雨に唄えば」(1952年)を観ているため、

おそらく1952年頃だと思われます。

この頃はちょうど「赤狩り」によってハリウッド映画が

衰退しつつある時代でした。

その後アメリカ人の娯楽は

映画からテレビへと移行していくことになります。

これからの時代を担う小さな女の子が

映画に対して「飽きた」と発言している重み。

さらにそのずっと先には、

映画をネット配信で観る時代がやってきます。

そのような映画界の行く末を考えさせられる

重みのあるシーンでした。

まとめ

今回は「バビロン」を考察してきました。

賛否ある作品ではありますが、

チャゼル監督の映画愛が詰まった本作は、

さまざまな解釈ができる

見応えのある作品でした。

「バビロン」タイトルの意味は古代都市!チャゼル監督の賛否両論の世界観を徹底考察!

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