インディジョーンズの父親役はショーンコネリー!スピルバーグが「007」を熱望したから?

「インディジョーンズ/最後の聖戦」で登場した

インディの父親のヘンリー。

演じたのは名優ショーン・コネリーです。

今回はショーン・コネリーの経歴や

本作に出演した経緯などを調べてみました。

目次

「インディジョーンズ」父親を演じたのはショーンコネリー

本名:Thomas Sean Connery
生年月日:1930年8月25日
没年月日:2020年10月31日(90歳没)
出生地:スコットランド ロージアン州エディンバラ
国籍:イギリス

牛乳配達から俳優の道へ


http://cinepara.iinaa.net/Sean_Connery_Photo.html

スコットランドのアイルランド系の家庭に生まれたコネリー。

両親は労働者階級で、

スラム街で貧しい幼少期を過ごしたといいます。

13歳で学校を中退したコネリーが、

俳優の道に進むまでの経緯はこちらです。

・はじめの仕事は牛乳配達
・16歳で英国海軍に入り3年間従事するも、胃潰瘍のために除隊
トラックの運転手、美術学校のモデル、ライフガードなどの仕事に従事する
・仕事をしながらボディビルジムに通う
・セミプロサッカー選手としてプレーしており、マンチェスター・U入りのオファーを受けたこともあった
・23歳の時、出場した重量上げの大会で、出場者の一人から俳優になるように勧められる

このように、

23歳にしてさまざまな経験をしたコネリーは、

役者の道を歩き始めることになります。

1954年から役者の仕事をはじめ、

テレビドラマなどでブレイク。

1957年には映画デビューを果たしています。

「007」初代ジェームズ・ボンドを演じる


http://cinepara.iinaa.net/Sean_Connery_Photo.html

1962年、32歳の時に転機が訪れます。

「007 ドクター・ノオ」で初代ジェームズ・ボンドに抜擢。

映画と共に大ブレイクを果たします。

出演した「007」シリーズは全部で7作品。

今でも、

ジェームズ・ボンドといえばショーン・コネリー

と言われるほど、

歴代のジェームズボンドの中で、

コネリーがもっとも人気を集めています。

実力派俳優としてキャリアを積む


Amazonより

最高のはまり役で大成功をおさめたコネリーでしたが、

実はジェームズボンドのイメージから逃れるために、

必死だったといいます。

そして、

「王になろうとした男」(1975年)
「風とライオン」(1975年)
「ロビンとマリアン」(1976年)

これらの作品で、

ジェームズボンドからの脱却を図ります。

コネリーの演技は高く評価され、

ジェームズボンド俳優ではなく、

実力派俳優ショーン・コネリー

として知られるようになりました。

「アンタッチャブル」(1987年)では、

アカデミー賞、ゴールデングローブ賞で

助演男優賞を受賞。

誰もが認める名優となりました。

「007」ではかつらをつけていた

ダンディな髪型が印象的な

ジェームズ・ボンドですが、

実はかつらだったことは有名な話です。

10代の頃から髪が抜け始めたというコネリーは、

ジェームズ・ボンドを演じ始めた30代には、

すでに薄毛だったそうです。

しかしコネリーは、

かつらであることを極秘にしていたわけではなく、

撮影の合間などにはかつらを外していたそうです。

「007」シリーズ以降は、

かつらを外して演じるようになったのですが、

髪がないほうがかっこいい

と称賛されるようになります。

アメリカの映画評論家のポーリーン・ケイルという方は、

髪がないことは、もはや償うべき欠点ではない。
ショーン・コネリーが永遠に変えてしまったのだから。

と綴り話題となったそうです。

2006年に引退を宣言

さまざまな名作を残してきたコネリーですが、

2006年、76歳の時に俳優業を引退することを発表。

「インディ・ジョーンズ/クリスタル・スカルの王国」
「007 スカイフォール」

このような作品へのオファーも受けていたそうですが、

出演が実現することはありませんでした。

夫婦で楽しい時間を過ごす


https://twitter.com/ichikawakon/status/1560583428671938560?s=20

引退後は、

2番目の奥様である

フランス人アーティストのミシュリーヌ・ルクブルンと共に

カリブ海のバハマに移住。

仲良く楽しい生活を送ったといいます。

ニューヨークなどに出かける時もあり、

奥様と一緒の姿が

たびたび報じられていました。

晩年は認知症を患う

2020年10月30日にショーン・コネリーは

バハマの自宅で亡くなりました。

その後、奥様のミシュリーヌは、

最後は認知症を患い、

意思を伝えることもできなくなった

ということを明かしました。

しかし最後は眠るように息を引き取ったそうです。

http://cinepara.iinaa.net/Sean_Connery_Photo.html

30代でジェームズ・ボンドを演じ、

70代まで名優として第一線で活躍。

その後は40年以上連れ添った妻と老後生活を楽しみ、

90歳で静かに最期を迎えたコネリー。

大往生だったと言えるのではないでしょうか。

「インディジョーンズ」父親役にショーンコネリーが抜擢された理由は?

スピルバーグ監督が「007」を撮りたかったから


Wikipediaより

スピルバーグが監督として有名になり始めた頃、

自ら「007」シリーズの監督を申し出たといいます。

しかしあっさり断られてしまい、

「007」のようなシリーズを作りたい!

と、「インディジョーンズ」シリーズを始めたんだそうです。

スピルバーグ監督の中には、

インディ・ジョーンズ=ジェームズ・ボンド

というイメージがあったようですね。

そのため、

「最後の聖戦」でインディの父親を登場させることになった時には、

初代ジェームズ・ボンドを演じたショーン・コネリー以外はありえない

と考えたといいます。

コネリーは父親役を躊躇していた

オファーを受けたコネリーは、

インディ演じるハリソン・フォードと

12歳しか離れていないため、

父親を演じられるか躊躇したそうです。

しかし脚本を気に入ったため、

最終的にはオファーを受けたといいます。

ジョージルーカスも消極的だった

また、製作総指揮のジョージ・ルーカスも、

コネリーのキャスティングには消極的だったそうです。

二枚目役が多いコネリーが、

コミカルさが求められるインディの父役にはまるか、

不安だったといいます。

しかし、ハリソンとショーンの共演は大成功

https://www.cinematoday.jp/news/N0119659

しかし蓋を開けてみると、

ハリソン演じるインディとコネリー演じる父親は

最高のコンビネーションを見せ、映画は大ヒット。

硬派なイメージの強いコネリーだからこそ、

コミカルな演技は、

より笑いを誘うシーンとなっていました。

ショーンコネリー「生涯で一番好きな役だった」と語った


https://www.banger.jp/news/47008/

ジェームズ・ボンドをはじめ、

実に多くの役を演じてきたコネリーですが、

生涯演じた役の中で、

本作のヘンリー・ジョーンズは

一番好きな役だったことを明かしています。

引退後にインディジョーンズ4作目へのオファーを受けた時には、

リタイア生活から私を映画に引き戻せるとすれば、
インディジョーンズしかないだろう

と語っていました。

最終的にインディ4作目への出演は断念していますが、

とても悩んだ末に断ったようですね。

まとめ

今回は「インディジョーンズ/最後の聖戦」で

インディの父親を演じた

ショーン・コネリーについて調べてみました。

ジェームズ・ボンドとして一世を風靡した後、

演技派俳優として長きにわたり

第一線で活躍されてきた名優です。

90歳で亡くなられていますが、

インディの映画の中なら何度でも会えます。

本作を観るときには、

ハリソン・フォードだけでなく、

ショーン・コネリーにも注目したいですね。

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