千と千尋の神隠しの主題歌「いつでも何度でも」。
懐かしさや温もりを感じる楽曲ですが、
歌詞が怖いとも言われています。
この記事では、
「いつでも何度でも」の恐いと言われる歌詞の意味を
紐解いていきたいと思います。
「いつでも何度でも」の歌詞が怖いと言われる部分は?
「繰り返すあやまち」の歌詞
この楽曲の中で怖さを感じる部分は、
この歌詞ではないでしょうか。
繰り返すあやまちの
そのたび ひとは
ただ青い空の 青さを知る
誰でも過ちを犯してしまうことはあります。
そしてその過ちに罪悪感を覚えて思い悩んでしまう。
でもその時に青空を見上げてみると、
その青さに圧倒され自分の悩みが小さなことに思える。
そんなことがイメージされる歌詞です。
罪悪感に思い悩んでいる人に
寄り添ってくれる感じがしますね。
しかしこの歌詞には、
もっと怖い意味があるという説があります。
青空には怖い意味がある?
「繰り返すあやまち」とは、
些細な過ちではなく戦争と解釈する説もあります。
そのような人間の愚かな過ちによって瓦礫と化した状況の中、
青空だけはいつもと変わらず存在していた
とも解釈できるようです。
その不気味さが漂っているため、
「怖い」と感じられるのかもしれません。
太平洋戦争の空襲で校舎が焼けてしまった学校は、
野外で授業を行っていたのですが、
その授業は「青空教室」と呼ばれていました。
青空はもの悲しさや怖さを感じさせる言葉なのかもしれません。
希望の歌詞が続いている
しかしこの歌詞の後には、
果てしなく 道は続いて 見えるけれど
この両手は 光を抱ける
という希望の歌詞が続きます。
戦争のような愚かな行いをする人類は
そのたびに破滅を繰り返してしまう。
それは果てしなく続いてしまうように感じるけれど、
「この両手」は光を抱けるとしています。
どんな時代の中でも、
自分に力を信じることができれば、
希望を見失わずに生きていける
ということではないでしょうか。
「こなごなに砕かれた鏡」の歌詞
この歌詞も怖さを感じる部分でしょう。
こなごなに砕かれた 鏡の上にも
新しい景色が 映される
ここでゾッとする言葉が、
「こなごなに砕かれた鏡」です。
温もりのあるメロディとは相反する
かなりバイオレンス的な表現です。
「割れた鏡」であれば、
何かの拍子に割れてしまった感じがします。
しかし「こなごなに砕かれた鏡」には、
強い憎しみや攻撃性、
さらには「死」まで感じられます。
鏡は「自分」を象徴していることが多く、
この歌詞の鏡もおそらく「自分」を意味しているでしょう。
怖い闇を感じてしまいますね。
希望も描かれている
「こなごなに砕かれた鏡の上にも」の後には、
「新しい景色が映される」という歌詞が続きます。
割れた鏡なら何とか修復できそうですが、
粉々に砕かれた鏡を修復することは難しいでしょう。
しかしそれほどひどい状況だとしても、
新しい景色を見ることができると言っているのです。
もしかしたら、
堕ちるところまで堕ちてようやく希望を見出すことができる
という意味があるのかもしれません。
「ゼロになったからだが耳をすませる」の歌詞
さらにこの楽曲の怖いと言われる歌詞は、
「ゼロになったからだ」という部分でしょう。
さよならのときの 静かな胸
ゼロになるからだが 耳をすませる
生きている不思議 死んでいく不思議
花も風も街も みんなおなじ
「ゼロになる体」=死んで何もなくなった体
という感じがしますよね。
さらに「死んでいく不思議」という歌詞も続くため、
ネガティブな空気を強く感じてしまいます。
ポジティブな死の表現だった?
しかしこの歌詞には、
「ゼロになる=死ぬこと」を意識することで、
生きることに「耳をすませる」ことができた
という解釈もできます。
重病を経験すると生死観が変わると言われるように、
「死」を身近に感じる経験をすると、
より「生」が輝いて見えるといいます。
そしてそれは人間だけでなくあらゆるモノに言えること。
生きている不思議 死んでいく不思議
花も風も街も みんなおなじ
この歌詞はそのような意味なのではないでしょうか。
「ゼロになるからだ 充たされてゆけ」の歌詞
さらに最後のほうにも
「ゼロになるからだ」の歌詞が出てきます。
こちらはポジティブな感じがするでしょう。
はじまりのあさの 静かな窓
ゼロになるからだ 充たされてゆけ
1日が始まる「朝」は、
人間がリセットされる時間でもあります。
夜にモヤモヤと思い悩んでいたことも、
朝起きるとクリアになることがあるでしょう。
「はじまりのあさ」という歌詞から、
そのような前向きさが感じられますね。
「ゼロになるからだ」はいつか死ぬ日がやってくる体
という意味だと思われます。
朝になり、
人間はいつか死ぬもの
だからそれまでにできることをしよう
という考えがクリアになったのではないでしょうか。
可能性に満ちた歌詞だった?
「ゼロになる体」とは死を意味するだけでなく、
まっさらな状態であることも意味していると思われます。
何でもできる可能性に満ちている状態の体とも
言えるのではないでしょうか。
だから、
「ゼロになるからだに」対して「充たされてゆけ」
と力強く言っているのでしょう。
生と死に向き合った先に見えた希望
「いつでも何度でも」の最後には、
海の彼方には もう探さない
輝くものは いつもここに
わたしのなかに 見つけられたから
このような前向きな気持ちが語られています。
この楽曲は、
一見すると怖いイメージを受ける歌詞が多いですが、
その後には前向きな歌詞が続いており、
最後は希望の光を見つけたところで終わっていますね。
生と死に向き合った先に見えた希望を
描きたかったのではないでしょうか。
まとめ
今回は千と千尋の神隠しの「いつでも何度でも」の
歌詞の意味について考えてきました。
死をイメージするような怖い歌詞が見られますが、
その先に希望が見えるという前向きな楽曲だということがわかりました。
千尋の成長とリンクするような素晴らしい楽曲ですね。