アジアを代表する大スタージャッキー・チェン。
その生い立ちは波乱万丈なものでした。
この記事では貧しく複雑な家庭から逆転劇を遂げた、
ジャッキー・チェンの経歴や生い立ちをまとめたいと思います。
ジャッキー・チェンの経歴や生い立ち
父はスパイ、母は売人だった
出生名:陳 港生(チャン・コンサン、ちん こんせい)
出身地:イギリス領香港
生年月日:1954年4月7日
年齢:69歳(2023年12月現在)
国籍:中国
- 米国の香港領事館でコックをしていた父親
- 家政婦として働く母親
という移民労働者両親を持っていたジャッキー・チェン。
貧しい生活を送っていたといいます。
しかしこれは両親の本当の姿ではありませんでした。
ジャッキーは母が亡くなる直前に、
- 父親は中国国民党(中華民国)のスパイ
- 母親はアヘンの売人
という衝撃な事実を知ることになります。
戦争後に共産党が政権を握った後、
国民党側のスパイだった父は、
追手から逃れるために中国から香港へ逃亡。
領事館のコックとなっていたのです。
混乱した状況で恋に落ちた両親
さらに父と母の出会いも衝撃的なものでした。
中国時代に税関職員だった時期があった父は、
アヘンの密売人をしていた母を逮捕しています。
母は姉御のような存在で有名な売人。
そして二人の子供を抱えていました。
そんな母に同情した父は彼女を解放。
そして恋に落ちたといいます。
両親はその後一緒に香港へ逃れ結婚。
ジャッキーが生まれました。
後に衝撃の告白を受けたジャッキーは混乱したといいますが、
あの時代には似たような話が多くあったと思う。
彼らの息子になれて本当に幸運だった。
と語っています。
7歳から京劇や武術を学ぶ
貧しい生活を送っていたジャッキーは
7歳で京劇や武術を学ぶ中国戯劇学院に入学させられ、
10年間、早朝から深夜まで厳しい稽古をしたそうです。
国語算数などの基本教育を受けず、
ひたすら京劇、武術を叩き込まれました。
無名の下積み時代が続く
中国戯劇学院が閉鎖されてしまったため、
ジャッキーは10代のうちから、
生活のために稼ぎ始めることになります。
映画のエキストラやスタントマンとして活動。
ブルース・リー作品、
「ドラゴン怒りの鉄拳」(1972年)
「燃えよドラゴン」(1973年)
にエキストラとして出演しています。
「ファイティング・マスター」(1972年)で俳優デビューし、
「ドラゴン・ファイター」(1973年)にも出演しますが、
いずれもヒットすることはありませんでした。
コメディ路線が大ヒット
なかなかヒット作にめぐまれないジャッキー。
復讐劇でシリアスな役を演じることが多かったのですが、
制作側に路線変更を提案します。
物語やアクションにコミカルさを加えるように注文したのです。
そして公開されたのが
コメディ色の強い「スネーキーモンキー 蛇拳」(1978年)。
コミカルなジャッキーも演技やアクションがうけて大ヒット。
コメディ路線への変更は見事に成功したのです。
俳優だけでなく監督としても作品に関わるようになります。
「プロジェクトA」(1984年)
「ポリス・ストーリー/香港国際警察」(1985年)
こちらの大ヒット作では監督、俳優を務め、
アジアのトップスターとして人気を集めました。
これまで暗い作風の復讐劇が多かったカンフー映画。
そんなカンフーアクション映画に、
コメディ映画の要素を取り入れたことは、
ジャッキーの大きな功績と言えるでしょう。
コミカルで明るい雰囲気になったカンフー映画は、
アジア圏を中心に大人気となりました。
アジアスターから世界のスターに
もともと世界進出は考えていたというジャッキー。
1980年公開の「バトルクリーク・ブロー」以降、
ハリウッド映画にも出演するようになります。
転機となったのは1998年公開の「ラッシュアワー」です。
クリス・タッカーとの刑事コンビを熱演。
クリスのマシンガントークと、
ジャッキーのキレのある華麗なアクションが人気となり、
「ラッシュアワー2」(2001年)
「ラッシュアワー3」(2007年)
これらの続編も大ヒット。
その後も、
「シャンハイ・ヌーン」(2000年)
「タキシード」(2002年)
「シャンハイ・ナイト」(2003年)
「ドラゴン・キングダム」(2008年)
など、数多くの作品に出演。
ハリウッドに欠かせない世界的スターになりました。
スタントギネス世界記録保持者
1972年に俳優デビューしてから、
100本以上の映画に出演しスタントをこなしてきたジャッキー。
2012年に、
最もスタントをこなした俳優
としてギネス認定されています。
しかしこの記録に至るまでには、
壮絶な経験をされています。
- 鼻の骨折
- 頬骨の骨折
- 頭蓋骨の骨折
このほかにも様々な怪我をしてきたといいます。
鼻の骨折は3回も経験しているそうです。
ジャッキー・チェンの私生活は?
台湾の人気女優ジョアン・リンと結婚
ジャッキーの妻は、
1982年、28歳の時に結婚したジョアン・リン。
知人の紹介で1981年に出会い、
約1年の交際を経て妊娠が発覚。
その後極秘で入籍しています。
人気・実力共に兼ね備え清楚な美人女優だったジョアンに対し、
スタントマン出身のジャッキーの結婚には、
当時反対の声も多かったといいます。
ジョアンは結婚、出産後に芸能界を引退。
子育てが落ち着いた後も復帰することはありませんでした。
息子のジェイシー・チャンは現在40歳。
歌手、俳優として活動しています。
破天荒な女性遍歴
かなりのプレイボーイとして知られるジャッキー。
これまで、
- 台湾の歌姫テレサ・テン
- 香港の女優ミシェール・イム
このような華やかな女性たちと
同時期に交際してきたことを明かしています。
妻で元女優の妻ジョアン・リンもそんな女性たちのひとり。
彼女が妊娠したため結婚を決意しますが、
実はジャッキー自身は、
あまり結婚に乗り気ではなかったそうです。
隠し子騒動
妻ジョアンと結婚生活を送る中で、
香港女優のエレイン・ンと不倫関係になったジャッキー。
1995年には娘のエッタ・ンが誕生。
彼女の存在が後に明るみに出ると、
一大スキャンダルに発展。
この時ジャッキーは、
世界中の男性が誰でも犯す過ちを犯してしまった
と発言し、
火に油を注ぐことになりました。
息子と娘はトラブルメーカー?
破天荒な私生活のジャッキーですが、
子どもたちもトラブルを起こしているようです。
・息子のジェイシー:2014年に麻薬の使用に絡んで逮捕される
・娘のエッタ:同性愛をカミングアウト、ホームレス生活を告白
2017年に同性愛をカミングアウトしたことで、
母親との関係が悪くなったエッタ。
家を出てホームレスのような生活をしているとYouTubeで公表。
ジャッキーはエッタを認知していません。
ちょうど同じ頃に息子のジェイシーが、
高級車に乗った写真をSNSに投稿したため、
息子には多額の資金を与えているのに娘が可哀そう
と、父親ジャッキーを批判する声が高まったそうです。
まとめ
今回はアジアを代表するアクションスター、
ジャッキー・チェンの生い立ちについて調べてきました。
両親の正体がスパイと売人、
貧困生活や10年間の武術訓練などを経て、
世界的スターに上り詰めたという
波乱万丈の人生だったことがわかりました。
これからもアジアが誇る世界的スターとして
活躍し続けてほしいですね。