ラブコメ帝王として一世を風靡したヒュー・グラント。
最近は「ウォンカとチョコレート工場のはじまり」でウンパルンパを演じるなど、
幅広い演技に定評があります。
貴公子俳優から現在の実力派俳優に至るまでには、
どんな経緯があったのでしょうか。
この記事ではヒュー・グラントの経歴をまとめたいと思います。
ヒューグラントの経歴・プロフィール
オックスフォード大学出身の秀才
本名:Hugh John Mungo Grant
生年月日:1960年9月9日
年齢:63歳(2023年11月現在)
出生地:イングランドロンドン
国籍:イギリス
ロンドンで軍人の父と教師の母の間に生まれたヒュー・グラント。
奨学金で名門オックスフォード大学の英文学部へ進学。
卒業後は美術史家を目指して、
ロンドン大学美術史の修士課程に進む予定でした。
ところがオックスフォード大学在学中に
映画協会制作の「オックスフォード・ラヴ」に出演したことがきっかけで、
俳優の仕事に目覚めます。
修士課程ではなく俳優の道を進むことになります。
27歳「モーリス」で注目される
大学卒業後は友人と劇団を設立しヨーロッパを中心にTVなどで活動。
下積み時代が続きます。
転機が訪れたのは1987年、27歳の時。
映画「モーリス」でブレイクします。
同性愛が犯罪とされていた20世紀初頭のイギリスを舞台に、
凡庸な青年モーリスと知的なクライヴの恋を描いた作品。
- モーリス役のヒュー・グラント
- クレイヴ役のジェームズ・ウィルビー
は、共に世界的に有名になりました。
二人はこの作品で、
ェネツィア国際映画祭男優賞を受賞。
端正な顔立ちで気品あふれるヒューは、
正統派美青年として世界的の女性を虜にしました。
「フォー・ウェディング」が大ヒット
「モーリス」で貴公子俳優となったヒューでしたが、
その後しばらくはあたり役にめぐまれずにいました。
しかし1994年、34歳の時に、
ラブコメ「フォー・ウェディング」が大ヒット。
二枚目なのに優柔不断な性格のため、
結婚に踏み切れないチャールズを好演しました。
王道のラブコメストーリーと、
不器用でシニカルな主人公という、
ヒューのラブコメ原点と言える作品です。
ヒューはこの作品で、
- ゴールデングローブ賞主演男優受賞
- 英国アカデミー賞主演男優賞受賞
という快挙を成し遂げます。
ラブコメの帝王に
「フォー・ウェディング」の大ヒットに続き、
「いつか晴れた日に」(1995年)
「9ヶ月」(1995年)
「ノッティングヒルの恋人」(1999年)
「ブリジット・ジョーンズの日記」(2001年)
「アバウト・ア・ボーイ」(2002年)
「トゥー・ウィークス・ノーティス」(2002年)
「ラブ・アクチュアリー」(2003年)
このような、時代を代表するラブコメに出演したヒューは、
- ラブコメの帝王
- ロマンティック・コメディの帝王
- ロマコメ帝王
などと呼ばれ一斉を風靡しました。
ハリウッドから干される
順風満帆な俳優人生を送っていたヒュー・グラントに
陰りが見え始めたのが2007年頃。
「ラブソングができるまで」(2007年)が興行的に失敗に終わり、
さらにサラ・ジェシカ・パーカーと夢の共演を果たした
「噂のモーガン夫妻」(2009年)は大コケ。
その後ヒューは、
ハリウッドから干された状態が続きました。
ハリウッドに嫌気がさしていた?
実は80年代からほぼ休みなく働き続けていたヒューは、
「ラブソングができるまで」の撮影が終わった頃から、
ハリウッドでの仕事に嫌気がさすようになっていたといいます。
その態度が「噂のモーガン夫妻」の失敗に繋がってしまったようです。
ヒューの態度の悪さによりオファーが減り、
一時は引退が噂されるほどでした。
ヒューは後にLos Angeles Timesのインタビューで、
あの時、僕がハリウッドを見限ったのではなく、
ハリウッドが僕を見限った。
僕の「高額報酬主演俳優」の日々は、
一夜にして去っていってしまったよ。
と自虐的に語っています。
パニック障害で映画撮影を行っていた
「ラブソングができるまで」の撮影中に、
パニック障害と診断されたヒュー・グラント。
リハーサルではうまくいくのに、
本番になると演技ができない状態に陥ってしまったそうです。
しかも普通の会話の中でも症状が出ていたといいます。
ヒューはなんとか撮影を終えるために、
精神安定剤を服用しながら挑んだそうです。
その後にオファーを受けた「噂のモーガン夫妻」では、
撮影中は、何とかパニック障害の初期症状で済んだといいます。
このような体調面での不安もあり、
仕事が憂鬱になってしまったのかもしれませんね。
演技派俳優としてカムバック!
ハリウッドから干されたヒュー・グラントでしたが、
時間に余裕ができたことで、
父親としてのプライベートが充実したといいます。
その影響からか、
メリル・ストリープの夫を演じた「マダム・フローレンス! 夢見るふたり」では、
14年ぶりにゴールデングローブ賞にノミネートされる活躍を見せ、
見事カムバックを果たします。
年上の妻を献身的に支えるヒューの演技は、
ラブコ帝王時代のコミカルさに、
年を重ねた深みが加わり絶賛されました。
ヒューはその後も、
- 映画「パディントン2」(2017年):落ちぶれた俳優
- ドラマ「英国スキャンダル~セックスと陰謀のソープ事件」(2018年):ゲイの恋人暗殺を画策する政治家
- ドラマ「フレイザー家の秘密」(2002年):不可解な殺人事件後に姿を消す医師のジョナサン
- 映画「ウォンカとチョコレート工場のはじまり」(2023年)ウンパルンパ
このように幅広い役をこなし、
その度に演技は高く評価されるようになります。
主役ではありませんが、
作品に欠かせない重要な役どころを演じ、
圧倒的な存在感を見せています。
俳優としての評価が上がったことに対してヒューは、
子どもができたからかもしれない
と話しているそうですよ。
実はストイックな俳優
ラブコメ帝王時代は、
同じような役を演じることが多かったヒュー・グラント。
「ヒューグラントらしさ」が彼の魅力ではありましたが、
演技力に注目が集まることは少ない俳優でした。
しかし実は入念な役作りをしていたといいます。
映画評論家デイヴ・ケールはヒューについて、
努力を見せないのでさらっとやってのけるかのように見えるけれど、
細部まで行き届いた演技をするためにしっかりと役作りをしている。
と絶賛しています。
毎回ヒュー・グラントらしさを出しながら、
その作品に溶け込んでいるヒューの演技は、
計算し尽くされたものだったのですね。
そんなヒューの演技は、
今60代になってようやく評価され始めています。
これからも様々な役を演じ、
その実力を見せつけてほしいですね。
ヒューグラントの私生活は?
プレイボーイとして有名
ラブコメの帝王と称されるヒュー・グラントは、
私生活も期待を裏切らないプレイボーイぶりを発揮しています。
元恋人のエリザベス・ハーレイをはじめ、
- ドリュー・バリモア
- サンドラ・ブロック
などの有名女優とのロマンスが噂されてきました。
公然わいせつ罪で現行犯逮捕された
女優たちとの熱愛以外にも、
スキャンダルが多いヒュー・グラント。
1995年には映画「9か月」のPRで渡米していた際に、
公道に停めた車の中で売春婦とわいせつ行為に及び、
現行犯逮捕されています。
しかしすぐに謝罪したことで、
ヒューの評価が大きく下がることはなかったようです。
当時恋人だったエリザベス・ハーレイも許してくれたのだとか。
5人の子どものパパ
ヒュー・グラントには現在5人の子どもがいます。
- 中国系女優のティンラン・ホン
- スウェーデン人テレビプロデューサーのアナ・エリザベット・エーベルシュタイン
との間に5人の子どもが生まれています。
第1子:2011年生まれ、ティンランが母親
第2子:2012年生まれ、アナが母親
第3子:2012年生まれ、ティンランが母親
第4子:2015年生まれ、アナが母親
第5子:2018年生まれ、アナが母親
なんと第2子(アナとの子)が生まれた後、
3ヶ月後に第3子(ティランとの子)が生まれています。
さすがはプレイボーイ!
2年の間の3人の子どもが生まれたことになりますね。
ちなみに第4子が生まれた段階では、
ヒューはティンランともアナとも婚姻関係にはありませんでした。
2018年、58歳の時に、アナと結婚したことが報じられました。
独身貴族を謳歌してきたラブコメ帝王も、
58歳にしてついに結婚を決めたようです。
また、ティンランとは破局後もよい関係を築いており、
ティンランとの間の子どもたちとも交流があるといいます。
ヒューはSNSで子どもと遊んでいる様子を投稿するなど、
子育てを楽しんでいることがうかがえます。
2009年「噂のモーガン夫妻」以降、
ハリウッドから干された状態が続いたヒュー。
しかしヒューは、
時間に余裕ができたことで子育てを楽しみ、
充実した日々を過ごしたといいます。
そんな日々があったおかげで、
現在深みのある演技ができる俳優になったとも言われています。
まとめ
今回はラブコメ帝王と言われたヒュー・グラントの経歴を調べてきました。
頂点を極めた後にハリウッドに干されたこと、
5人も子供をもうけていたことなど、
波乱万丈の人生だったことがわかりました。
現在はそのような経験を経て深みのある名優になっています。
これからの活躍に期待したいと思います。