大ヒットシリーズ「ハリーポッター」の作者JKローリング。
億万長者となった彼女ですが、
実は生活保護を受けたり、
うつ病に悩まされるなど波乱万丈の人生を歩んでいました。
今回はJKローリングの生い立ちや現在について調べてみました。
ハリーポッター作者JKローリングの生い立ちは?
1965年:イングランドの南西部グロスターシャ州で誕生

https://www.insider.com/jk-rowling-harry-potter-author-biography-2017-7#jk-rowling-born-joanne-rowling-grew-up-in-gloucestershire-england-and-always-knew-she-wanted-to-be-an-author-1
JKローリングは、
1965年7月31日、
イングランドの南西部グロスターシャ州で誕生。
・ロールスロイス社の航空部門エンジニアの父
・科学技術者の母
という両親の長女として生まれ、
2年後に妹が生まれています。
6歳で初めて物語を書く

幼い頃から物語を好きだったローリングは、
わずか6歳の時に「Rabbit」という物語を書きました。
ウサギとその友達を描いたお話だったそうです。
子供時代は、
ひたすら物語を書いていたといいます。
9歳の時に自然に囲まれた家に引っ越す

https://www.bbc.com/news/uk-england-gloucestershire-52286400
9歳の時にはタッツヒルという町に引っ越し、
「チャーチ・コテージ」と呼ばれる、
19世紀半ばに建てられたゴシック風の建物で、
10代の大半を過ごしました。
美しい庭や森に囲まれており、
「ハリーポッター」のアイディアになったとも
言われています。
1980年(15歳):母親が難病を患う

15歳の頃に母親が難病である多発性硬化症と診断され、
徐々に病状が悪化してしまいます。
多発性硬化症とは多様な神経症状が再発と寛解を繰り返す病気で、
突然に目が見えなくなる、腕がしびれて上がらなくなるなどの症状があります。
明るく活発だった母親が
徐々に弱っていく姿を見ているのは、
胸が引き裂かれる想いだったそうです。
この頃から父親とも不仲になり、
家庭内の雰囲気は良くありませんでした。
父親との関係が良くなかった影響から、
「ハリーポッター」には父親的な人物を、
多数登場させたと言われています。
1982年(17歳):両親の希望する大学へ

https://www.linkedin.com/pulse/career-story-jk-rowling-writing-wizard-rajat-taneja
学生時代は成績優秀で、
生徒会長に任命されたこともあったJKローリング。
大学は文学系に進みたいと思いながらも、
両親の希望するエクセター大学に入学し、
フランス語と古典を学びました。
両親はフランス語を勉強し、
バイリンガルの事務員になることを期待していたといいます。
在学中は、フランス留学も経験し、
優秀な成績で卒業。
病気を患っていた母親は、
車椅子に乗って卒業式に出席したそうです。
1987年(22歳):秘書をしながら小説を書き溜める

大学卒業後は、
ロンドンのアムネスティ・インターナショナル(国際人権NGO)で
秘書として働きますが、
やりがいを感じられる仕事ではなかったそうです。
秘書の仕事をしながら、
小説を書き溜める生活を送ることになります。
しかし25歳までに2つの小説を書きましたが、
評価されることはありませんでした。
1990年(25歳):「ハリーポッター」のアイディアが浮かぶ

https://www.businessinsider.com/r-inspiration-for-harry-potter-nemesis-umbridge-revealed-on-website-2014-10
1990年、マンチェスターに住む恋人と交際していたローリング。
・平日はロンドンで仕事
・週末はロンドンから電車で4時間ほどのマンチェスターで過ごす
という生活をしていました。
そしてこの時ついに、
「ハリーポッター」のアイディアを思いついたのです。
マンチェスターからロンドンに戻る電車の中。
どこまでも続く田園風景、
フリーシアン種の牛たちを見つめているうちに、
突然「ハリーや魔法学校のイメージ」が浮かんできたといいます。
しかもぼんやりとしたイメージではなく、
・主人公の男の子は魔法学校への入学許可証をもらうまで魔法使いであることを知らない
・主人公が通う学校の雰囲気や、そこで出会う人々
・ロン・ウィーズリーとハグリットについて
このような具体的な内容がどんどん湧いてきたといいます。
ローリングは自宅に戻ってから、
電車で考えた物語の内容を、
安物のノートにどんどん書き留めました。
その後ローリングは、
1作目となる「ハリー・ポッターと賢者の石」を
書き始めました。
1990年(25歳):母親が45歳で死去

「ハリーポッター」の執筆により、
刺激的な生活を送っていたローリング。
そんな時、1990年12月30日に母親が45歳の若さで死去。
10年に及ぶ闘病生活の末のことでした。
深い悲しみに暮れながらも、
執筆を続けたローリング。
その心の闇が作品の内容に
影響を与えたと言われています。
恋人との関係も悪化しポルトガルへ
恋人との関係も上手くいかなくなり、
別れることになったローリングは、
生活を変えるために海外へ行くことを決意。
ポルトガルで英語教師として働くことになります。
1992~1993年(27~28歳):結婚、出産、離婚を経験

ポルトガルで新しい生活を送りながら、
「ハリーポッター」の執筆を続行。
そこで出会った2歳年下の男性と交際をはじめ、
1992年27歳の時に結婚。
すぐに妊娠し1993年に長女ジェシカを出産。
しかし夫の家庭内暴力や薬物摂取などの問題が勃発。
ローリングは娘を連れて家を出て、
エジンバラにいる妹ダイアン夫婦の家に
一時的に身を寄せます。
その後1995年に離婚が成立しています。
1993年(28歳):生活保護を受けながら生活

無職のシングルマザーとなったローリングは、
住居手当と生活保護を申請。
週69ポンド(約9,300円)の手当をもらい
娘を育てることになります。
二人が生活を始めた安アパートは、
ねずみの音がするような
ひどい環境だったそうです。
1994年(29歳):うつ病を患う

心的ストレスにより、
ひどいうつ状態になったローリング。
しかし、
娘の人生を台無しにするわけにはいかない
と奮起し、
カウンセリングを受けながら、
「ハリーポッター」の執筆に励んだといいます。
さらに、
友人から借金し、
劣悪な環境のアパートから
普通のアパートに引っ越しました。
1995年(30歳):「ハリーポッター」完成

秘書の仕事を見つけたローレンスは、
仕事と並行して「ハリーポッター」を書き進め、
ついに1995年に1作目の「ハリーポッターと賢者の石」が完成させました。
ところが、
複数の出版エージェントに最初の3章を送るも、
・全章送ってほしいと返事がきたのは1社のみ
・エージェント決定後も12もの出版社から却下される
という状況だったそうです。
しかし実際に1作目が出版されると、
ご存じのとおり、
世界中でハリポタ現象が巻き起こりました。
うつ病のシングルマザーだったローリングは、
億万長者となったのでした。
ハリーポッター作者JKローリングの現在は?
再婚、2人の子供を出産

https://www.cosmopolitan.com/jp/entertainment/celebrity/a33125126/jkrolling-life-harrypotter/
1人目の夫とは上手くいかなかったローリングですが、
現在は2人目の夫とおしどり夫婦として知られています。
2001年36歳の時に、
スコットランド人医師ニール・マレーと再婚。
夫婦そろって頻繁にプレミアなど、
公の場に姿を見せています。
さらに、
2003年に長男を出産
2005年に次女を出産
1人目の夫の娘も含め、
ローレンスには現在3人の子供がいます。
しかし子供たちは、
メディアの前に姿を現わすことはありません。
約160億円を寄付

ハリーポッターシリーズは、
世界で5億冊以上売り上げたベストセラーです。
2003年のイギリス長者番付では
133位のエリザベス女王を抜き122位にランクインしました。
しかし実際には億万長者ではないといいます。
その理由はこれまで様々な団体に巨額の寄付をしてきたから。
生活保護を受けるほど経済的に苦しい時期があった彼女は、
なんと総額1億5,000万ドル(約160億円)もの寄付をしてきました。
最近では、
2020年5月に、新型コロナの影響を受けた人々の支援組織に
100万ポンド(約1.3億円)寄付をして話題になりました。

まとめ
今回は、
「ハリーポッター」の作者JKローリングの生い立ちについて
調べてみました。
生活保護受給者のシングルマザーになったり、
うつ病を患うなど、
波乱万丈の人生を歩んできたことがわかりました。
作者のこのような生い立ちを知った上で「ハリーポッター」シリーズを見ると、
物語の内容がより深いものに思えるかもしれませんね。