日本でも高い人気を誇るセリーヌ・ディオン。
世界で2番目に売れた女性アーティストとされていますが、
トップ歌手から家族の不幸と病気が重なるなど、
激動の人生を歩んだ女性でもあります。
この記事ではセリーヌ・ディオンの経歴をまとめてみたいと思います。
セリーヌ・ディオンの経歴
カナダで14人兄弟の末っ子として生まれる
出生名:セリーヌ・マリー・クローデット・ディオン
生年月日:1968年3月30日
年齢:55歳(2023年11月現在)
出身地:カナダ ケベック州シャルルマーニュ
14人兄弟の末っ子として生まれたセリーヌ。
一番上の姉との年の差は22歳。
両親や姉兄の愛情をたっぷり受けて育ちました。
両親はフォーク・ミュージシャンだったため、
音楽に溢れた環境だったといいます。
ケベック州はフランス語が公用語で、
セリーヌはフランス語圏で生活していました。
12歳で歌の才能を認められる
幼い頃から歌の才能を発揮していたセリーヌ。
母親はセリーヌが12歳になった時に彼女のデモテープを制作。
それが地元の音楽プロデューサー、ルネ・アンジェリルに渡ります。
ルネはセリーヌの才能を瞬時に見抜き、
すぐに5年間のマネージメント契約が結ばれます。
ルネは自宅を抵当に入れてアルバム資金を調達するほど、
彼女の才能に惚れ込んでいたといいます。
ちなみに当時のセリーヌは小柄で内気、
あまり美人でもなかったそうです。
しかしとても賢そうな目をした女の子だったそうです。
13歳で歌手デビュー
1981年、13歳の時にフランス語のファーストアルバムをリリース。
故郷のカナダ・ケベック州とフランスを中心に
歌手活動をスタートさせます。
- 16歳でモントリオール・オリンピック・スタジアムでのコンサートでは7万人を動員(カナダ)
- 16歳でパリのオランピア劇場に最年少で出演し、二日連続で会場を満員にする(フランス)
このようにカナダ、フランスでの人気を高めていきました。
特に本国カナダでは圧倒的な人気を誇り、
デビューから数年後には知らない人がいないほどの人気歌手になっており、
1988年のカナダツアーでは200箇所の会場が完売。
カナダの動員記録を更新しています。
ヤマハの大会で金賞を受賞していた
歌手デビューの翌年の1982年、
セリーヌは初来日を果たしています。
「第13回ヤマハ世界歌謡音楽祭」に出場し、
見事金賞を受賞しています。
全米でも大ブレイク
1990年代に入り、世界進出に向けて動き出したセリーヌ。
カナダのプロデューサー・デイヴィッド・フォスターと共に、
LAに拠点を移します。
この時LAに知り合い誰もいない状態だったそうです。
またフランス語圏で育ってきたセリーヌは、
全く英語を話すことができなかったため英語を猛勉強。
1990年に初の英語アルバム「ユニゾン」を発売します。
1991年2月にはファースト・シングル「哀しみのハート・ビート」が、
早くも全米で大ヒット。
全米ビルボード・シングル・チャートで4位を記録します。
「美女と野獣」のデュエット曲が大ヒット
セリーヌが世界的にブレイクしたきっかけの楽曲は、
1992年ディズニー映画「美女と野獣」で使われた
「ビューティー・アンド・ザ・ビースト」です。
ピーボ・ブライソンとのデュエット曲でした。
この曲は、
- アカデミー賞主題歌賞
- ゴールデン・グローブ賞最優秀主題歌賞
- グラミー賞最優秀デュエット・ソング
このトリプル受賞を成し遂げています。
その後セリーヌは、
- 全米40都市での大規模ツアー
- 地元カナダ・ツアー
- ヨーロッパ・プロモーションツアー
を行い、
世界的歌姫として人気を不動のものにしました。
美女と野獣の楽曲が収録されたアルバム「Celine Dion」は、
ダブルプラチナを記録しています。
フランスでも大ヒットを記録
1995年には、フランス語アルバム「フレンチ・アルバム」をリリース。
するとフランス国内で400万枚を超える大ヒットを記録、
歴代最高売上記録となります。
母語フランス語で制作されたこのアルバムは、
セリーヌ最高傑作と言われることもある名盤です。
なおセリーヌはこの功績によって、
フランス政府から芸術文化勲章を授与されています。
アトランタオリンピックの開会式に登場
1996年にはアトランタオリンピックの開会式で
「パワー・オブ・ザ・ドリーム」を熱唱しました、
繊細な優しさと力強いパワフルさのある、
圧巻のパフォーマンスは世界中を魅了しました。
「タイタニック」の主題歌が空前の大ヒット
1996年には映画「タイタニック」の主題歌、
「マイ・ハート・ウィル・ゴー・オン~タイタニック」が大ヒット。
映画が世界中で空前の大ヒットを記録する中、
この楽曲も世界中で大ヒット。
アカデミー賞では主題歌賞を獲得しています。
セリーヌは英語圏、フランス語圏、そして世界中において
絶対的歌姫としての地位を確立したのでした。
日本でもセリーヌ旋風が巻き起こる
1995年のドラマ「恋人よ」の主題歌となった
セリーヌの「トゥ・ラヴ・ユー・モア」が日本で大ヒット。
洋楽として異例の130万枚を売り上げています。
その後1997年には「タイタニック」主題歌も大ヒット。
1997年には来日し、
全国6都市10公演のアリーナツアーが行われています。
人気絶頂の時に芸能活動を休止
1999年に開催されたグラミー賞授賞式では、
「マイ・ハート・ウィル・ゴー・オン」が、
- 年間最優秀レコード賞
- 年間最優秀楽曲賞を受賞
に輝くという快挙を成し遂げたセリーヌ。
そんな人気絶頂の時に芸能活動休止を発表しました。
- 出産と子育てのため家庭を大事にしたい
- 癌を患っている夫との時間を大切にしたい
このような理由だったといいます。
この歌姫の決断は、
多くのファンに暖かく受け入れられたといいます。
音楽活動を再開
音楽活動休止から約3年後の2002年に、
アルバム「ア・ニュー・デイ・ハズ・カム」をリリースし活動を再開。
音楽界で功績が認められたセリーヌは、
2005年1月にハリウッド・ウォーク・オブ・フェームに名前が刻まれました。
2007年アメリカの経済誌「フォーブス」の
エンターテイメント界で活躍する女性で資産の多い女性トップ20では、
総資産303億円で第5位にランクインを果たしています。
また2008年同紙の最も稼いだ女性ランキングでは、
マドンナに次いで2位にランクイン。
2011年には、
シングル&アルバム総売上が2億枚を突破し、
大物アーティストと肩を並べるほどまでになりました。
ちなみにWikipediaの「売れた音楽家」の順位は以下になっています。
1位:ビートルズ
2位:エルビス・プレスリー
3位:マイケル・ジャクソン
4位:マドンナ
5位:レッド・ツェッペリン
6位:エルトン・ジョン
7位:リアーナ
8位:エミネム
9位:ビージーズ
10位:AC/DC
11位:セリーヌ・ディオン
セリーヌがどれだけ偉大なのかがわかりますね。
ちなみにセリーヌの良きライバル的存在だった
マライア・キャリーも、
シングル&アルバム総売上が2億枚を突破しています。
セリーヌ・ディオンの私生活は?
プロデューサーのルネ・アンジェリルと恋に落ちる
セリーヌ・ディオンは、
音楽プロデューサーのルネ・アンジェリルと26歳の時に結婚しています。
二人の出会いはセリーヌが12歳の時。
ルネは38歳でした。
セリーヌの歌声を聞いてすぐにその才能に魅了されてルネは、
自宅を抵当に出してまで資金を捻出し、
彼女を売り出すことに尽力しました。
二人三脚で音楽活動を行う二人は、
やがて恋愛関係に発展します。
セリーヌ18歳、レネ44歳の頃です。
セリーヌは2013年に米Access Hollywoodで、
17歳から18歳の頃、彼に対する気持ちに変化が起きたの。
母もこうなるって分かっていたらしいわ。
母には選択肢がなかった。私たちの愛が勝ったのよ。
と語っています。
交際を隠し続けた
二人の関係は世間でも噂されるようになります。
腕を組んで歩いている姿、
手を握ってキスをする姿などが目撃され始めたのです。
しかし二人の口から交際が語られることはありませんでした。
セリーヌはすでにトップ歌手、
しかもまだ10代で相手は44歳。
公表したらセリーヌがバッシングを受けてしまい、
歌手生命にもかかわってしまう。
そう考えたルネは公表しないと決めたのです。
交際を公表したかったセリーヌにとっては、
辛く苦しい日々だったといいます。
そして交際から8年、出会いから14年後の1994年についに結婚。
セリーヌ26歳、ルネ52歳の時でした。
純愛を貫いた二人の結婚は多く人に祝福されました。
3人の子どもを出産
セリーヌとルネとの間には、
1人の男の子と双子の男の子が誕生しました。
・長男:レネ・チャールズ・アンジェリル
生年月日:2001年1月25
・双子の兄:ネルソン・アンジェリール
・双子の弟:エディ・アンジェリール
生年月日:2010年10月23日
トップ歌手でありながらも、
息子たちを優先して愛情を注いできたセリーヌ。
今でも息子たちとの関係は良好で、
SNSに登場し話題になることもあります。
こちらは2022年の母の日にセリーヌがインスタグラムで投稿した、
貴重な4人のショット。
穏やかな母親の表情がとても素敵ですね。
夫の病気と死
人気絶頂であった1999年にセリーヌは芸能活動休止しています。
その理由は夫ルネの病気でした。
ルネは1999年に咽頭がんと診断され、
闘病生活を送ることになったのです。
セリーヌは復帰するまでの4年間、
ずっとルネのそばで寄り添ったといいます。
ルネもその後は仕事に復帰していますが、
2015年9月にはがんが進行しており、
余命数ヶ月であることをセリーヌが明かしました。
そしてルネは長いがんとの闘いの末2016年1月14日に死去。
74歳の誕生日の2日前でした。
葬儀はルネの希望にそって、
結婚式を挙げた思い出の場所、
モントリオールノートルダム聖堂で行われました。
夫の死の2日後に兄を亡くす
最愛の夫を亡くしたセリーヌは、
その2日後に兄ダニエルを亡くすという不幸が続きました。
ダニエルは脳腫瘍、舌ガン、喉頭がんを患っていたそうです。
59歳という若さでした。
夫と兄を立て続けに亡くしたセリーヌですが、
数ヶ月後のインタビューでは
力強いコメントをしていました。
私はとにかく子供たちにお母さんは強いんだってことを見せたいの。レネは常にショーは続けなければいけないって言っていたわ。私は48歳で人生で最愛の人を失った。でもね、元気だった時の彼がいなくなってしまったことを寂しくは思うけど、苦しんでいた時の彼を寂しく思うことはないの。自分勝手になってはいけないわ。逝かせてあげないといけないのよ。私は安らぎを覚えているわ
彼は私にこの全ての力強さを残して逝ってくれた。今だって毎日彼とは生活を共にしているの。ただ体がそこにないだけよ。彼がもう苦しんでいないってことに感謝しているの
デイリー
この言葉通り、
セリーヌはその後も精力的に音楽活動を続けました。
2019年にはアルバム「Courage」を発表しています。
まとめ
今回は世界の歌姫セリーヌ・ディオンの経歴をまとめてきました。
12歳で才能を見出されてトップ歌手になったこと、
大恋愛の末に結婚し、夫と死別したことなど、
興味深い激動の人生を送ってきたことがわかりました。
現在は「スティッフパーソン症候群」を患い療養中とのことですが、
また素晴らしい歌声を世界に届けてほしいですね。