ハリウッドを代表するスター俳優であり、
ボディビルダー、知事としても活躍したアーノルド・シュワルツェネッガー。
一体どんな人物なのか調べてみました。
アーノルド・シュワルツェネッガーの経歴・プロフィール
父はナチス党員だった

出典元:Wikipedia
オーストリア・グラーツ近郊の小さな村で生まれたシュワルツェネッガー。
生年月日:1947年7月30日
年齢:76歳(2023年11月現在)
出生地:オーストリア・シュタイアーマルク州タール町
- 父:グスタフ
- 母:アウレーリア
- 兄:マインハルト(1歳年上)
- アーノルド・シュワルツェネッガー
の4人家族でした。
オーストリアの警察官だった父グスタフは、
ナチス党員だった過去があります。
- オーストラリア合併直前の1938年に
自らドイツ国家社会主義労働者党への入党を申請 - 1941年にドイツ軍の突撃隊に入隊
- 第二次世界大戦では東部戦線に従軍
- スターリングラードの戦いで負傷
- マラリアの発作により1944年に除隊
このような経緯を経て、
再びオーストリアの警察官に復帰しています。
厳しい家庭環境だった

シュワルツェネッガーは、
戦争によるPTSDに苦しむ父親のもと、
厳しい家庭環境の中で育ちました。
過剰に厳しい躾と暴力、
そして貧困に苦しむ日々が続きます。
しかしこのような家庭環境は当時のオーストリアでは
珍しくなかったといいます。
シュワルツェネッガーは後に、

当時のオーストリアでは、まったくの異世界だった。
もし私たちが何か間違ったことをしたり、両親に従わなかったら、
鞭は避けられなかった。
と語っています。
また父親は長男ばかりに愛情を注ぎ、
シュワルツェネッガーには厳しい態度だったことも明かしています。
18歳で戦車兵になる

18歳の時に徴兵によりオーストリア連邦軍に入隊。
史上最年少で戦車兵となり任務につきます。
しかしこの時シュワルツェネッガーは、
ボディビルの大会に出場するために、
一時的に軍を抜け出してしまいます。
大会では見事優勝を果たしますが、
無許可離隊が規定違反となり、
軍刑務所に数日間収容されたそうです。
伝説のボディビルダーになる

https://www.esquire.com/jp/menshealth/wellness/g30341174/young-arnold-schwarzenegger-photos-career/
カーリング競技のチャンピオンだった父の影響で、
子どもの頃から様々なスポーツに取り組んできてシュワルツェネッガー。
15歳のときに映画「ヘラクレス」を見て、
レグ・パークに強い影響を受けたことがきっかけで、
ウエイトトレーニングを始めます。
20歳でボディビルの国際大会ミスター・ユニバースで優勝。
1968年、21歳の時に本格的にボディビルをするために、
子どもの頃から夢見ていたアメリカに移住。
この時の所持金はたった20ドルだけでした。

その後世界最高峰のボディビルの大会「スター・オリンピア・コンテスト」で、
6連勝という快挙を成し遂げます。
ほぼ無敗という記録を持ったシュワルツェネッガーは、
1978年に「世界で最も筋肉が発達した男」として
ギネス認定されています。
シュワルツェネッガーのボディビル業界への貢献度は非常に高く、
史上最も偉大なボディビルダーの一人と言われています。
アメリカの大学でビジネスを学ぶ

ボディビルのトレーニングをしながら、
勉強も両立させる日々を送ります。
UCLA(カルフォルニア大学ロサンゼルス校)では心理学を専攻、
ウィスコンシン大学ではビジネスを学びます。
1980年に卒業し、
1983年にはアメリカ市民権を取得しています。
様々なビジネスで成功する

https://www.reddit.com/r/bodybuilding/comments/c3avbq/arnold_and_franco_bricklaying/
幼少期から貧困を経験してきたシュワルツェネッガー。
経済的な自由を求めてアメリカに進出した彼は、
ビジネスで成功をおさめています。
・体の鍛え方を教える定期購読ビジネス
・レンガ職人ビジネス
・不動産ビジネス
このようなビジネスを手掛けています。
ボディビルの経験を活かした体の鍛え方の定期購読ビジネス。
さらに当時ヨーロッパの建築物が流行っていたことに目をつけ、
「ヨーロッパから来たレンガ職人です」と言い、
ヨーロッパ訛りの英語を武器に売り込みます。
営業スキルに長けていたシュワルツェネッガーは、
どんどん顧客を得てビジネスは大成功。
そして得た報酬は無駄遣いせず全て不動産に投資。
その後の不動産バブルの影響を受け、
大きな利益を得ることができたシュワルツェネッガーは、
不動産王となったのでした。
俳優に転身する

ボディビルダー引退後は、
本格的に俳優への転身を希望したシュワルツェネッガー。
しかし1970年代は、
- アル・パチーノ
- ダスティン・ホフマン
- ウディ・アレン
など細身の俳優が人気だったため、
強靭な体を持つシュワルツェネッガーには
厳しい状況でした。
苦労して作り上げてきた体に対し、
モンスターのような体では成功しない
と言われたこともあったといいます。
スター俳優を目指して転機を待つ

https://karapaia.com/archives/52278182.html
しかしシュワルツェネッガーは、
端役に甘んじることはしませんでした。
お金がないために
どんな仕事でも受けるしかなかった俳優仲間を見てきた彼は、
絶対にそうはなりたくないと考えていたといいいます。
ビジネスを成功させて経済的に余裕があった彼は、
端役には見向きもせず、
主役級の役を目指すことができたのです。
強いアメリカが求めるアクション俳優に

https://note.com/fumichu78/n/nbc2d25cbfe30
そして1980年代に入りついに転機が訪れます。
ベトナム戦争で覇気を失っていたアメリカは、
「強いアメリカ」をスローガンに掲げたレーガン大統領の影響で、
徐々に活気を取り戻していきました。
映画業界でも強いアクション俳優への注目が集まり始めます。
まさに、シュワルツェネッガーのようなスターが
求められる時代が来たのです。
・スティーブン・セガール
・シルベスター・スタローン
・ブルース・ウィリス
・ジャン=クロード・ヴァン・ダ
・メル・ギブソン
などと共に1980年代のアクション映画を盛り上げるスター俳優になっていきます。
「ターミネーター」で大ブレイク

https://www.tvgroove.com/?p=115671
1982年「コナン・ザ・グレート」でブレイクしたシュワルツェネッガーは、
さらに1984年公開の「ターミネーター」で大ブレイクします。
映画史に残る最高傑作として語り継がれている作品です。
殺人サイボーグ・ターミネーター役は
シュワルツェネッガーの当たり役となり、
その後に公開された続編も大ヒットを記録しました。
アクションスターとしての地位を築いたシュワルツェネッガーは、
- 「コマンドー」(1985年)
- 「ゴリラ」(1986年)
- 「バトルランナー」(1987年)
- 「プレデター」(1987年)
- 「レッドブル」(1988年)
- 「トータル・リコール」(1990年)
- 「ターミネーター2」(1991年)
- 「トゥルーライズ」(1994年)
などのアクション映画を次々に大ヒットさせます。

https://www.cinematoday.jp/news/N0128619
さらに、
- 「ツインズ」(1988年)
- 「キンダーガートン・コップ」(1990年
- 「ジュニア」(1994年)
などのコメディ映画にも出演。
コメディ俳優としての実力も発揮しました。
後にLAウィークリーはシュワルツェネッガーについて、
アメリカで最も有名な移民であり、
ボディビルダーから世界最大の映画スターになった
と述べています。
カリフォルニア州知事になる

https://moviewalker.jp/news/article/43569/
スター俳優として成功していたシュワルツェネッガーは、
2003年に第38代カリフォルニア州知事に就任。
2011年まで任期を全うしました。
しかし俳優を辞めて政治家のキャリアを歩もうと思ったことは
なかったといいます。
あくまでも映画界でのキャリアは進行中で、
カリフォルニア州知事の任期の間7年間だけ、
俳優を休業した形でした。
チャンスをくれたアメリカへの恩返しだった
Contactmusic.comが伝えたところによると、
シュワルツェネッガーは政治家になった理由について、

アメリカは僕に人生で成功するチャンスを与えてくれたから、
しばらく俳優業を休んで、米国の人々に仕えようと思ったんだ。
と語っています。
またシュワルツェネッガーは、
知事の報酬について

僕にとっては小遣い程度だよ!
とも語っています。
実際に、
- 知事の年俸は約1957万円
- 全盛期の映画1本のギャラは約27億円
ということで、
確かにシュワルツェネッガーにとって知事の報酬は、
「小遣い程度」と言えますね。
しかも選挙活動にはお金がかかるため、
自腹を切ったこともあったそうです。
しかしシュワルツェネッガーにとって
お金のことはどうでも良かったそうで、

僕は人々を助けたかった
それは僕がこれまでしたことの中で、最もためになることだった。
と語っています。
不倫、隠し子騒動があった

https://moviewalker.jp/news/article/33579/image160299/
シュワルツェネッガーの妻は
ジョン・F・ケネディ元大統領の姪であるマリア・シュライヴァー。
10年の交際を経て1986年に結婚、
4人の子ども(2女2男)をもうけました。
しかし2011年に別居を発表。
その理由はシュワルツェネッガーとメイドの不倫。
しかも隠し子がいたことが発覚したのです。

シュワルツェネッガーはこれにより、
全米から批判の声を受けることになりました。
2021年には離婚が成立し、
妻は25年間の結婚生活中にシュワルツェネッガーが得た収入の半分を
受け取ることになりました。
俳優として復帰

https://www.cinematoday.jp/news/N0090801
2011年にカリフォルニア州知事の任期を終えた後は、
俳優として復帰。
- 「エクスペンダブルズ2」(2012年):大ヒットシリーズの続編
- 「大脱出」(2013年):10年ぶりの主演
- 「サボタージュ」(2014年):シルベスター・スタローンとW主演
- 「ターミネーター:新起動/ジェニシス」(2015年):ターミネーター5作目
このような話題作に出演。
現在(2023年)もNetflixオリジナルドラマに出演するなど、
精力的に活動を続けているシュワルツェネッガー。
全盛期のような大ヒットとはいきませんが、
往年の映画ファンを楽しませています。
まとめ
今回はハリウッドを代表する大スター、
アーノルド・シュワルツェネッガーの経歴をまとめてきました。
レンガ職人からボディビルダー、州知事まで
様々な分野で活躍してきたことがわかりました。
今後どのような活躍をされるのか、
まだまだ目が離せませんね。