スポンサーリンク

飯島三智の手腕がすごいエピソード7つ!育てたグループはSMAP・キスマイ・セクゾ!

飯島三智さんはすごい手腕マネージャーとして、

SMAPを育て上げたことで有名ですね。

そこで飯島さんがすごいと言われるエピソードを、

7つまとめてみました。

目次
スポンサーリンク

飯島三智の手腕がすごいエピソード7つ!

1つめ:アイドルをバラエティに出演させた

 

飯島三智さんといえばSMAPの、

優れた手腕マネージャーで、

いまいち売れないアイドルだったSMAPを、

国民誰もが知るアイドルに成長させたことで有名です。

SMAPがデビューしたころは、

ちょうどアイドルが売れない氷河期時代でした。

 

 

  • SMAPは1988年にジャニーズJr.6名から結成
  • 1991年にCD「Can't Stop!! -LOVING-」でデビュー
  • SMAPとは「Sports Music Assemble People」の略
  • スポーツと音楽をするために集められた人々の意味
  • オリコン週間チャートでは2位
  • デビューシングルとしては、事務所始まって以来最低だった
  • 地方のコンサートは客がまだら状態

 

あの一世を風靡した光GENJIでさえ、

人気が落ち込んでいた時だったのです。

バンドブーム到来で人気だった音楽番組は無くなり、

アイドルをどう売り出せばいいか、

事務所としても方針を打ち出せない時期でした。

 

 

そんな状況をジャニーズ事務所で、

事務員として働いていた飯島さんが見ていて、

SMAPのマネージャーになることを自ら志願しました。

  • 飯島三智さんは1957年2月20日生まれ
  • 飯島三智さんの父はレコード会社勤務
  • 母親はピアノ講師
  • 幼い頃から音楽に携わってきた裕福なお嬢様
  • 事務所と関係の深い、酒井政利さんの推薦で事務所へ入社
  • 酒井政利さんはフォーリーブスやキャンディーズ、
    山口百恵など昭和アイドルを世の中に送り出した偉大な方。

 

歌と踊れるアイドルであることに加えて、

お笑いもできるアイドルを作って、

バラエティ番組に出演することを始めました。

 

 

飯島さんは手の届かないスター性と共に、

身近で親近感のあるアイドルを作り上げたのです。

「夢がMORI MORI」では森脇健司さんと森口博子さんと共に、コントにも挑戦をしました。

 

 

過去にはたのきんトリオなどもコントをしていたことがあったが、

お笑い芸人顔負けの笑いに突き進んだアイドルは、

SMAPが初めてのことでした。

それが世の中に受け入れられたようです。

 

SMAPは誰か1人だけを売り出すのではなく、
メンバー6人それぞれがの個性が世間から認知されるグループとなったのです。

 

 

光GENJIは歌と踊りだけで突き進み、

人気が長続きしませんでした。

この飯島さんの売り出し方が功を奏して、

SMAPはより身近に感じるアイドルとして、

長く愛されることとなったのです。

 

 

1996年からフジテレビ系『SMAP×SMAP』が放送開始となりました。

バラエティ企画と音楽ショーの二部構成になっていて、

メンバー同士のやりとりや料理する様子など、

メンバーの日常が垣間見れるような番組でした。

 

売れなかったSMAPを支えた飯島三智さんは、
SMAPメンバーにとって母親のようでもあり、仲間でもあり深い絆で結ばれていたといいます。

  

 

2つ目:SMAPの衣装を手作り?

 

まだSMAPが売れていなかったころ、

事務所から衣装を用意してもらえずに、

飯島さんがメンバーの服を古着屋で自腹購入し、

メンバーのために繕い準備したそうです。

これが本当なら飯島さんすごいですよね。

素敵なエピソードだなと思いました。

3つめ:大物アーティストと直接交渉

 

SMAPといえばヒット曲が多くあり、

それらは今もカラオケで歌われるほどのすごい人気です。

そしてその楽曲は有名なミュージシャンが、

提供していて話題にもなりましたね。

 

 

この楽曲提供の依頼は飯島さんが、

直接お願いしていたと言われています。

  • 山崎まさよしさんの「セロリ」
  • 槇原敬之さん「世界に一つだけの花」
  • スガシカオさん「夜空ノムコウ」
  • 野島伸司さん「らいおんハート」

 

いまでは名のあるアーティストが、

アイドルに楽曲提供するのは、

よくあることになりましたが、

かつてはアイドルらしからぬ曲を歌うのは、

珍しくて違和感もあり難しいことでした。

 

 

それを事務所からではなく飯島さんが、

交渉してオッケーをもらっていたのですから、

すごいことですよね。

SMAPそれぞれの個性が際立ってきたこと、

そこにプラスして楽曲の話題性でSMAPの人気は、

さらに不動のものになっていったのです。

 

 

4つ目:Kis-My-Ft2やSexy Zoneを格差売り

Kis-My-Ft2

 

SMAPを専門としてずっとマネジメントをしていましたが、

2007年以降はSMAP以外のマネジメントも

飯島三智さんが担当をしていました。

Kis-My-Ft2についてはメンバー間に格差をつけて、

まずは前列3人を推して知名度を上げる作戦にでました。

 

 

知名度アップのためにまずは前にいる3人の顔を、

世間に知ってもらうことを優先して、

グループの人気へと繋げていったのです。

グループ内で多少の格差をつけるのは、

ある程度昔からある作戦だとは思います。

しかしKis-My-Ft2に関しては、

けっこうあからさまでした。

 

 

前3人とその他バックダンサー的な感じに見えるくらい、

メンバーですごい格差があったのです。

もちろんメンバー内でもその状態に、

ギクシャクした空気になっていた時期もあったとか。

その格差売りに疑問を感じるファンもいて、

かわいそうという声も聞こえてきました。

方針をすぐに変更

 

飯島さんもメンバーに申し訳なさもあり、

その次の手としてSMAPの中居さんに、

彼らのプロデュースを頼んだそうです。

それが「舞祭組」結成に繋がりました。

中居さんは彼らの格差にわざと触れていじり、

後ろのメンバーがカメラに映る回数を増やし、

格差が笑いになるように仕向けたのです。

 

 

格差売りが彼らにとって逆に、

人気へとつながりそれぞれの個性が

うまく引き出されていきました。

たしかに飯島さんの考えた格差売りは、

メリットデメリットがあって、

賛否両論あるでしょう。

 

そこをうまく補正しながら結果的には、

グループの人気に繋がったということですね。

 

 

Sexy Zone

 

Sexy Zoneの飯島さんの売りだし方も、

格差をメンバー内でつけたものでした。

衣装にもかなりの差があって、

前の3人しか歌っていない曲もあるようです。

佐藤勝利さんと中島健人さんと菊池風磨さんは

かなり事務所から推されていた印象があります。

 

 

一方マリウス葉さんと松島聡さんは、

当時はかなり適当な扱いに感じられましたね。

格差売りされた理由
  • マリウスさんと松島さんは学業が優先であった。
  • マリウスさんは11歳で最年少デビュー。
  • 精神的にも学ぶことがまだまだ必要だった。
  • 練習量でダンスや歌にも自然と差が出てしまう。
  • そのためSexy Zoneの1人1人が成長するための、ステップとしてこのような格差売りとなった。
  • もともと佐藤勝利さんを売り出すためのグループだった?

 

2015年からジュリーさんの管轄になり、

衣装の差などなくなり格差は解消されています。

しかし後に松島さんがパニック障害で

活動を休止となってしまいました。

松島さんが戻ると次はマリウスさんが

体調不良で芸能活動を休止となり、

グループとしては落ち着かない状態ではあります。

 

 

Sexy Zoneに関してはこの格差売りは、

失敗だったようにも思えますが、

ファンからはだからこそのより強い応援と、

メンバーの成長と絆も感じられる気がします。

 

 

5つ目:共演NGをなくした

 

芸能界には共演NGというものが昔からあって、

この人とこの人は共演はだめというのは、

珍しいことではありませんでした。

ジャニーズ事務所もそういうところがあったのですが、

その共演NGをなくしたのが飯島さんだと言います。

 

 

そのことによって仕事の幅はさらに広がり、

業界からもタレントを使いやすくなりました。

ドラマの仕事があれば主役でなくても仕事をとり、

SMAPを売り出すために頑張ったようです。

 

 

そのため「あすなろ白書」では筒井道隆さんが主役で、

木村拓哉さんは脇役でした。

しかしドラマでは主役以上に木村さんは注目を浴びて、

飯島さんの売り出し方は成功しました。

6つ目:ジャニーとメリーからも認められた

 

飯島三智さんはジャニーズ事務所で事務をしていた頃から、

テキパキと仕事をこなして手腕を発揮、

仕事のできる人でした。

そのためジャニーさんとメリーさんからは、

信頼を置かれて事務所の恩人としての

よき扱いを受けていたといいます。

飯島さんはマネージャーとして現場にでると、

細やかな気遣いもできる人で、

どこへ行っても「飯島さんの手腕はすごい」と、

有名だったといいます。

 

 

アイドルがお笑い芸人のように笑いを取り、
バラエティ番組に出るということ。

それはジャニー喜多川さんが、

ジャニーズ事務所で目指していたアイドル像から

かけ離れたやり方ではありました。

それでもジャニーは飯島さんのやり方を容認し、

ジャニーさんもテレビ局のスタッフに、

積極的にメンバーを売り込んでいたそうです。

 

 

アメリカでの生活経験があるジャニーさんからすると、

歌って踊れて笑いもできるエンターテーナーこそが本物

という海外の価値観の影響もあり、

飯島さんのやり方に賛同したのではないでしょうか。

 

 

またジャニーさんの姪である、

藤島ジュリー景子さんとも関係は良好でした。

ジュリーさんが副社長だった時代も、

飯島さんは頼りになる存在であったようです。

しかしやがてジュリーさんの母であるメリーさんが、

飯島さんのすごい手腕に警戒するようになったのです。

 

  • ジュリーさんと飯島三智さんの、マネジメント能力は格段の差があった。
  • メリーさんは次期社長は、当然娘のジュリーだと考えていた。
  • ジャニーさんは次期社長は飯島さんにと考えていた。
  • このままでは娘の社長の座が奪われると恐れ始める。

 

メリーさんが恐れるほどに、

飯島さんはできる女性であり、

その手腕はすごいものだったことになります。  

 

 

だんだんと飯島さんの居場所がなくなり、

圧をかけられる状態で追い込まれていきます。

そしてジュリー管轄のタレントと飯島管轄のタレントは、

事務所内ではっきりと区別されていて、

そのお互いの管轄タレントは、

共演が原則NGとなっていました。

 

退社時点での飯島派タレント
  • SMAP(後に解散)
  • 山下智久(NEWS脱退時にジュリー派から移籍、後に退所)
  • Kis-My-Ft2
  • A.B.C-Z
  • ジャニーズJr.
退社前に飯島派を抜けたタレント
  • KAT-TUN(ジュリー派→社長命令で飯島派へ→赤西さんを残し、メンバーの意思でジュリー派へ戻る?)
  • Hey!Say!JUMP
  • 赤西仁(KAT-TUN脱退と共に飯島派に残留、後に退所)
  • ジャニーズWEST
  • Sexy Zone(ジュリー派→飯島派に引き抜き→ジュリー派に引き戻し?)

 


事務所を辞めるまでマネジメントに尽力

 

その後飯島さんは事務所を辞めるまで、

手腕マネジメントを発揮していました。

SMAPの売り出し成功をきっかけに、

その後のジャニーズ事務所タレントは、

それにならい売り出しに成功したのです。

低迷期だったアイドルの時代が、

飯島さんのやり方で大きく変わり、 

業界全体の流れも上向きに変えました。

売れたら短期間で終わるアイドルではなく、

息の長いアイドルを生み出すことに成功したのです。

 

 

7つ目:退社後の新会社も安泰

 

飯島さんはジャニーズ事務所を退社後、

フリーとなって2016年7月に、

「株式会社CULEN」を設立しました。

その後解散をして退所したSMAPのメンバーから、

稲垣吾郎さんと草彅剛さん、

香取慎吾さんが合流しました。 


3人は「新しい地図」として活動を開始します。

今まで独立したスタッフによる新会社が、

成功をする前例はなかったそうです。

もちろん彼らも2年ほどは業界から追放されたような、

そんな状態ではありました。

 

元SMAP3人のTV出演に圧力の疑いとして、
公正取引委員会からジャニーズ事務所に注意処分。
独禁法違反につながり得る行為と判断されたため。

 

 

しかし財界人に応援されていたため、

CMの仕事などは絶えずあったようです。

今はメンバーの仕事は安定していて、

ほどよく仕事が来ている状態だと言われています。

飯島さんは人脈も広く、

仕事ができる相手を見抜く力もあるそうです。

業界からも「飯島さんは仕事ができるすごい人」

と認識されています。

これからも「新しい地図」の活動のために、

マネジメント業務に力を入れていくことでしょう。

 

 

まとめ

飯島三智さんのすごい手腕エピソードを見ていると、

非常にマネジメント能力に長けていて、

SMAPからの信頼も厚かったことがわかりました。

これからの飯島さんのご活躍がますます楽しみですね。

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
目次